【Well-Passインタビュー】自分を枠にはめない。人と同じ道でなくても、幸せになれる
- 100年時代のライフデザイン
- 公開日:2023年7月21日
今回はフリーランスとして生きる高橋あきさん(44)にお越しいただきました。高橋さんは「人と同じように生きなくていい」と話します。なぜそんな強さが持てるのか、深堀していきます。
この記事の目次
CAを夢みるも、断念。オーストラリアへ留学を決意!
短大の英文科へ進み、将夢はスチューワーデス(CA)でした。しかし、応募条件に"身長制限"があることが発覚。私の就職時代は多様性のある時代でもなく、泣く泣く諦めることになったのです。
それならば、英語を使った仕事がしたいと思い、オーストラリアへの留学を決めました。このまま学校を卒業して就職して、電車に揺られて会社に向かう...という生活には将来性を見いだせませんでした。そういう生き方が悪いというのではなく、自分の将来だから自分で決めたいと考えたのです。
そうして、オーストラリアに単身で渡りました。しかし、初日から大号泣。日本から留学エージェントを通じて予約していたゲストハウスは当日に「空いてません」と言われてしまい、連れて行かれた場所はあまり治安の良くないホステル。そこには衝撃的な光景ばかりが広がっていたんです。「私どうなっちゃうんだろう...」と両親に泣いて電話しました。
ただ、人間は案外強いもので、最初にカルチャーショックの洗礼を受けたことが幸いとなり、その後のオーストラリア生活は実に楽勝でした。当時のオーストラリアはシドニーオリンピックがまさに盛り上がっているタイミング。現地で仕事を得ながら、ボランティア活動をしつつ、語学学校に通う生活が始まりました。
そこで、私はネットカフェに出会いました。日本はおろか、世界的にもネットカフェはまだ主流でなかったのですが、国際電話をかけるなんてお金がいくらあっても足りない時代。私にとって日本の友人や家族に自分の近況を伝えるためにネットが必要だったんです。
当時はインスタのようなSNSもなく、ホームページやBBSなどを自分で設置しなくてはなりませんでした。それでも海外から発信したくて、HP作成のソフトを使って日記を公開するようになりました。家族や友人ともどこにいても繋がれるってすごいなというか、嬉しくて、すごくはまったんですよね。
いつしかインターネットの世界に熱中した私は、ネットカフェに入り浸るようになりました。ボランティア活動をした写真を撮っては日記を綴り、そこにアップして、友人や家族に自分が元気でやっている様子を報告していました。
今考えると、オーストラリアに来てまで何やっているんだろうとも思いますが、この時の経験がなかったら30代のキャリアはなかったので、人生って本当にうまくできています。
軸はネットを使った仕事。飽き性な自分を見つめて派遣社員として活躍
帰国後、オーストラリアで熱中したインターネットを使って何か仕事できないかと考え、インターネットが主流なマスメディアなら活かせるだろうと、新聞社系列の企業で校閲業務の業務委託社員になりました。
未経験でも門扉が開かれていたのはありがたかったですね。記事の校閲・配信・Webデザイン・編集・取材など、マスメディアで必要なことを沢山学ばせてもらいました。まだネットに疎い方も多く、独学ではありましたがネットを使いこなせる私は職場でとても重宝されました。
そこで2年ほど勤務し、その後も派遣社員として1~2年単位で大手メディアが持つインターネット系の部署に勤務。正社員になることも考えましたが、自分のやりたいことを追求するためには、自由度の高い派遣社員の方が良いと思ったのです。
ネットを介して様々な人に伝える仕事にとてもやりがいを感じていました。シドニーで感じた"ネットがあればどこにでも情報は届く"を実践できる日々が楽しかったんです。そして、トレンドの移り変わりも早いネット業界は、飽き性の私にはとても向いていました。毎日違ったテーマについて書いたり、編集できたりするので、気が付けば10年以上に渡って同じ仕事を続けられたのです。
30代を過ぎたころから、派遣として働く限界を知る
30歳を過ぎたときのことです。働き方改革が始まって様々な人が派遣会社に所属するようになり、歳を重ねて派遣切りにも遭うように。「私、このままずっと派遣として働けないな」と感じました。
それに、自分としては現場で働きたい想いが強いのにも関わらず、30代を超えてくるとマネージメントを求められるようになり...会社から求められることが20代とは全然違うようになってきたんですよね。好きなことを仕事にしていたいと思っている私と、職場から求められることの不一致に悩むようになりました。
そんな時、正社員でネット通販の会社に転職。しかし経営は厳しく、次々と社員がリストラに。職場の雰囲気も最悪でした。人間関係に疲れていた頃、ついに私にもリストラの通知が届き、「ああ......私の人生、終わったんだ」と挫折を味わいました。
しかも、正社員を経験してみると、雇われて働くことの窮屈さも感じていました。派遣社員でもなく、正社員でもなく、他にどうやって働いていけばいいか、私の前には絶望という言葉が広がっていました。
ひょんなことから、あれよあれよという間にフリーランスに
捨てる神あれば拾う神あり、という言葉がありますが、まさに私が経験したのはこれです。結婚の予定もなく、キャリアの限界を感じていたとき、一筋の光が差し込んだのです。
当時習っていたフラワーアレンジメントの講師に、「自分でホームぺージとか作れないかしら?」と相談を受けました。当時は制作会社も少なく、単価も100万円はかかるような時代でしたので、少しでも安くできる方法を探していたんだと思います。仕事のないタイミングだったので、「とりあえずやってみよう!」とホームぺージ作成講座を始めてみることに。
その後、初めてクライアントになってくださった方から、一気に周りに広がって次から次へとオファーが入るようになりました。32歳で『女子WEB塾』というホームページ作成講座を本格的に開始。もう、会社に属せないのなら自分で仕事するしかないなと、フリーランスとして働くことにしたのです。
仕事をはじめてみると、口コミってほんと本当にすごいなと感じました。起業家女性のネットワークも強く、この間まで仕事がなくて嘆いていた私が嘘みたいに忙しくなりました。フリーランスになった初月から、会社で働くくらいの額が稼ぐことができ、順調なスタートでした。当時流行っていたアメブロも始め、そこからの集客も増え、ホームページ制作だけでなく、ブログ集客までメニューも充実させました。
こうして、無職で収入0円だった私が年収8桁も稼ぐようになったのですから、人生何があるかわかりません。また、マーケティングも学び、経営塾にも入門しました。さらに、書籍を数冊出させていただきました。現在、巷には多くのWEB講座がありますが、当時は珍しく、需要が多かったのも売り上げが上がった要因だったと思います。
その後、仕事状況を聞きながら、その人に合ったオーダーメイドのブランディングもするように。コーチングやコンサルタントとして起業家の方をサポートする存在になりました。クライアントからは「売上が上がった」、「仕事がスムーズになった」など励みになるお声をいただきました。
私自身、クライアントに接するときには「自然体」を最も大切にしていました。どうしても自分を大きく見せたり華美に取り繕ったり、人間って当然のように他人にマウントを取ってしまうときがあります。でも、偽らないとクライアントも「実はこんな悩みがあって...」と、本音を打ち明けてくれました。まずは私が繕わずにいることが、皆さんから支持してもらえた点なのかと思います。
また、そんな自然体をクライアントにも実践してもらうようにしていました。インスタやブログもそうですけど、自分を大きくして見せてしまうと結局後から困るのは自分なんです。そういうことを一から丁寧に伝えていきましたね。
そうやって自分に素直になることで、やっていくべきことがシンプルに見えてくることがあります。もし、私みたいに会社員は向いていないんだよなぁという人がいたら、勇気は必要かもしれませんが、一歩外の世界に出てみてください。今とは違う景色が広がっているかもしれませんよ。
収益は上がっているのに、心にぽっかりと穴があいた
走り続けているうちに、だんだんクライアントから求められることも大きくなってきました。起業スクールの講師も勤め始めていたので、"責任"という言葉が重くのしかかってきたのです。
キャッチコピーやSNSの発信は、もちろん売り上げに影響はしますが、その言葉一つですぐに結果が出るものではありません。結果が出る人ももちろん多かったですが「どうして売上が上がらないんですか?」と悲痛な声をいただくと、心にぽっかり穴が開いたような気持ちになりました。
必要以上に人を助けたいと思う気持ち・責任感がいつの間にストレスになり、気づけば心だけでなく体にもSOSが出てしまうようになりました。あれだけ日記を付けたり、文章を校閲したりと、言葉を紡ぐのが好きだった私が、言葉一つ発したり書いたりするのも、怖くなってしまったんです。私の一言にクライアントの期待がどのくらいのしかかっているんだろう、私が作るキャッチコピーでどのくらい売上が左右してしまうんだろう、と。
ちょうど40歳を過ぎた頃でした。この先10年、同じ生活を送ることはできない、仕事に苦しめられる人生になってしまうのは本末転倒だと考えた私は、全てを手放すことを決めました。スイッチを切り替えないと、もうダメだなって自分でわかったんですよね。
SNSやネットからも離れ、何者にもなりたくない、肩書すらも欲しくないと考えていました。その頃は本当に疲弊していて、成田山新勝寺にいって無心で写経をしたり、瞑想をしたり。護摩焚きとかもやりましたね。全てを浄化させるみたいなことは一通り経験しました。
そんなことをやりながら、だんだん自分を見つめられるようになると、キャリアのピークは過ぎたんだなと悟ったんですよね。キャリアがないと自分じゃないと思っていましたが、実際何もなくなると、「ここに自分はいるじゃないか」と。人の目ばかりを気にしていた自分に気が付き始めたんです。
HSPは病気じゃない、自分の個性
そうして自分を見つめ直していくと、わかったことがありました。私はHSPという繊細な人間だったのです。HSPは繊細すぎて人に気を遣ってしまうが故に、人の中にいるととても疲労を感じやすいんです。だからこそ、何かに所属せずしがらみがなく生きられる派遣社員が私には向いていたのかもしれません。
そうして自分の性質をわかったことで、よくここまで頑張ってこられたなと、改めて自分を褒めてあげたいと思いました。多数決の日本社会だと、マイノリティの意見は淘汰されがちです。今までは、どうして私は多数の意見にはまらないんだと自分を責めていました。だけど、「これが私じゃん!」とより他人の目を気にしなくなりました。
40歳を過ぎて独身で実家に戻るのも恥ずかしいことだと感じていました。でも、私の生き方は私の生き方だなと、ありのままの自分を受け入ることができたのです。そして、すぐに収益にならなくても同じ悩みを持つ人を救いたいと、Yahoo!知恵袋の回答をするようになりました。
救いたいとは大げさかもしれませんが、私は自分の性質がわからず、世間に馴染めない自分が悪いと決めつけていた節がありました。すごく生きづらかったんですよね。なので、そういう個性なんだよと伝えることができたら、楽に生きられる人がいるかもしれないと思ったんです。
いざ、知恵袋の回答を始めてみると、高校生から会社員の方まで私と同じ悩みを抱えている人は多くて。病気だと勘違いしている方もいるのでそういった方に個性ですよとお伝えし、私だからこそ伝えられることを書き込んでいます。役に立ったらいいなと始めた知恵袋での回答ですが、喜んでくれる人の声が今は自分の喜びになっています。
これからの生き方は、楽しく自分らしくをモットーに
今は、例えば短期で沖縄に行くリゾートバイトもいいななど、楽しいと思えることだけを挑戦したいと思っています。好きなことを短くてもいいからやってみようと思って。昔なら短期バイトって生活不安定な人がやるイメージでしたが、立場や見方が変わるだけで全然違うなとわかりました。
日本は普通がいい、皆と一緒が間違いないみたいな価値観がありますが、自分のペースで楽しいことを積み重ねていく人生が豊かだということに気付きました。今後は自分が楽しめそうなことに手を出していきたいと思っているので、楽しい体験を少しずつ積み重ねながら、自分軸で考えた時間を過ごしたいと思っています。
以前のクライアントに、占い師さんが多かったこともあり、今は占いにはまっています。推し(アイドル)のタロット占いをするYoutubeチャンネルを始めて、なんと収益化に成功しました。動画がバズり、再生回数は1万回を超えています。好きこそものの上手なれが活かされた瞬間でした。
それを機にタロットカードも自分でデザインし、商品化してネットショップで売り出し始めました。ありがたいことに、初心者の占い師でも使いやすく、デザインが良いと評判になっています。このように、好きなことをやっていく先に自分らしい生き方が実現すればいいなと思うようになりました。
今は、収入をはるかに得ていた時代にはなかった自由を感じながら生きています。周りからの評価を手放して、すごく楽になったのです。主婦の方でも、旦那にこう思われたいからパートにいかないといけない、ママ友の目があるから自由に意見してはいけないなど、自分を枠にはめてしまうことって意外と多いと思うんです。
それに、社会に繋がっていないと評価されていない気がする、転職したいけど踏み切れないなど...、知らない間にどこかで自分を枠にはめてはいませんか?もし、自分が傷つく環境なら手放してみましょう。自分を大切にしない状況を選んでいるのも自分です。楽しめることに向かって生きていけばいいことあるなと、何もかもを手放した私が胸を張って言えます。
昔、職場にマウントを取ってくる男性がいました。その人と働くのが嫌だなと感じていましたが、いざその男性を観察していくと、奥さんも子どももいて...きっと生活も私より大変だなと。単身で稼いでいる私が自由に思えて、彼は私をやっかんでいたんです。そうやって引いて見るようになると、私をマウントすることでしか優越感を得られない、かわいそうな人なんだなと思えるようになりました。
このように自分のマインドや視点、視座を変えてみるのも、自分を楽にさせる一つの手だと思います。ついつい、働くことはお金のためだと思いがちですが、実際に稼いでみて気付きました。幸せとお金は比例しないと。自分を見つめながら、心地よく過ごすことが幸せな人生に繋がっているということです。
まとめ
終始笑いの絶えない取材となりました。それほど高橋さんの話術は巧みでインタビューするこちら側が引き込まれていました。また、人の目を気にしないで生きるとおっしゃる高橋さんからは人と違うことに「何がいけないの?」という強さを感じ、人と違うことを気にしてしまう私にとって目から鱗な言葉をいただきました。そんな人生の先輩を見習い、私も生きていきたいと思いました。