【Well-Passインタビュー】自分が納得したものを形に。志のある仕事をしていきたい

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【Well-Passインタビュー】自分が納得したものを形に。志のある仕事をしていきたい

教科書を作成する会社で家庭科の編集部に所属されている、武石暁子さん(42)。4歳と小3の男の子の子育てをしながら、雑誌「日経WOMAN」「AERA with Kids」などに誌面協力するなど、充実した働き方・子育ての情報を発信し続けている。そんな武石さんに仕事の対する情熱について詳しく伺いました。

この記事の目次

    音楽家を目指し、就職活動せずに大学を卒業

    大学は、教員免許の取得できる数学科へ入学しました。将来は数学の教師になろうと決めていたんです。それなのに、就職活動はしませんでした。就職率の良い大学だったこともあり、周りの子が就活に勤しむ中、私は音楽の道に進もうと決心。表現すること、自分が作ったものを人に喜んでもらうことが好きだったので、無謀にも将来は作曲や編曲をやっていきたい、音楽家になりたいと、強く思ったのです。

    卒業後はアルバイトをしながら、有名な音楽関係者がいる個人事務所にレッスンに通いました。身分はいわゆるフリーターです。レッスン料は高くて大変でしたが、一度決めたからにはとことん頑張ろうと、必死でした。音楽の道に進もうと思ったきっかけは、カラオケ。当時はすごくカラオケが流行っていて、歌うといろんな人から上手いと言われていました。

    そうして、フリーター生活を続けながら3年ほどが経った頃、どうやら自分は音楽一本では食べてはいけないんだと悟りました。現実はそんなに甘くないことを知ったんですよね。「このままじゃだめだ、就職しないと!」と思いました。当時のアルバイトは、塾のテキスト問題などをつくる教材作成の仕事。それを起点にして就職先を探したところ、運よく、模擬試験や会場テスト問題を作っている会社に雇ってもらうことになり、会社員として働き始めました。

    そこでは毎月、何百もの数学のテスト問題を作っていました。問題を考えては講師や先生に監修してもらったり、テキスト等を参考にこんなのはどうだろうと試行錯誤したりする日々。毎月決まってテスト問題をリリースしないといけなかったので、深夜まで会社に残っては終電で帰宅するという生活でしたね。1年ほどが経った頃、自分のプライベートな時間も作るのが難しい働き方に疑問を持ち、もう少しワークライフバランスが取れる会社で働きたいと転職を決意しました。

    そして、教材作成や教科書ワークなどを編纂していている会社に入社することになったのです。そこで手掛けていたのは、小・中学校の家庭学習用のための教材の編集でした。毎月というスパンではなく、1年を通してテキストを作成するタームで動けたので、比較的自分の時間も確保しつつ、落ち着いた働き方ができるようになりました。

    ここでも担当は算数や数学。問題を作成をしたり、学校の先生や塾の講師に執筆をしてもらいそこに筆を入れたり、参考書のデザインを考えたり...と多岐に渡る業務でした。今でもよく思い出しますが、年明けの校了前の忙しさといったら凄まじいものでした。それでも、1年を過ぎる頃には、累計で十数冊の参考書を作っていました。

    先生になりたかったのは、憧れの教師がいたから

    元々、教育に興味をもったのは高校時代のことでした。当時、進学校に入学した私は、剣道に明け暮れていました。部活に熱心な学生だったんです。でも、気づけば数学のテストは赤点ばかり。周りの子はとても優秀で、文武の両立はそれはそれは大変で...。そんな折、体調を崩してしまいました。

    メンタルも体も弱っていた、そんなときに学年主任だった数学の先生が「わからなくなったらいつでもおいで」と、保健室にまで顔を出して温かく見守ってくれました。そんな先生の優しさに触れているうち、「先生に喜んでほしい!」と数学に力を入れるようになったんです。それまで全く興味ないどころか苦手な分野でしたが、親身になってくれた先生のおかげで数学を進んで勉強するようになっていきました。その方は東大ご出身の先生で、本当にレベルの高い授業をされる方でしたね。

    また、書店でわかりやすい数学の参考書を見つけ、これを書いた先生に習いたい!とその先生が主宰する予備校へ通いました。その時に、わかりやすく教材をつくる仕事があることに気づきました。もし、その先生にお会いできていなかったら、今携わっている分野の仕事があるという気づきを得ることはなかったかもしれません。

    こうして、赤点だった数学の成績は嘘のようにうなぎ上りになっていきました。それがきっかけで大学に進学する際にも、数学を極めたいと思うようになりました。そして、高校時代の先生に憧れて私も教師になろうと、目指すようになったのです。

    子育ても仕事もやっていきたい! 両輪で生活する日々

    教科書ワークの編纂に携わる会社で働いているときに結婚をしました。そして、そのタイミングで寿退職。でも、仕事を辞めてすぐに働きに出たいという思いに駆られました。根っから、働くのが好きな性分なんだと思いますね。

    ありがたいことに、ちょうど人材募集していたベネッセに入社し、多摩センターへの配属となりました。当時、千葉県に住んでいたのですが、夫も一緒に調布に引っ越してくれることに。夫の会社は東京にあり、会社が遠くなるというのにも関わらず、嫌な顔をせずに付いてきてくれたのです。

    入社後は、算数の問題作成をメインに、企画や編集も行っていました。この時期、赤ペン先生のテストが紙からウェブに代わる変革期でしたので、ウェブでどのように動作できるかと、PDCAを回していました。常に忙しい状況でしたが、少しでも人の役に立つことが嬉しくて。慌ただしくも充実した生活が送れていましたね。ただ、働き始めて3年が経った頃、出産や子育てを考えると地元の環境がいいなという思いが強くなり、退職をすることに。

    実家のある千葉に戻ってきてからは、小学校と中学校で専任講師として数学を教え始めました。そんな中、前職の会社から教科書ワークを執筆してみない?と依頼をいただき、その執筆と小・中学校の講師を務めながらの二足の草鞋を履く日々に。その後、無事に第一子を授かることができつわりがひどくなったことで、講師の仕事は中断。教科書ワークの仕事は体調面と相談しつつ、長男を産んでからも保育園に預けながら続けていました。

    desk (1) (1).jpg▲家でライティングするようになったころに購入したKOIZUMIのデスク。今でも愛用しています。

    子どもを産み、体調も落ち着いてきたころに、「やっぱり働きたい!」と一念発起。現在の会社にご縁をいただきました。教材編集という大枠は変わりませんが担当が数学から家庭科というこれまで扱ったことのない分野になりました。家庭科は衣食住に関わることで、子育てをしているからこそわかる内容を扱うことも多く、母となってからの私の生活に親和性があったんです。

    数学では文字や図形が並ぶレイアウトでしたが、家庭科は写真やビジュアルを多く配置するため、許諾を取るなどの慣れない業務もありました。それでも、『生徒さんに役立ち、先生方に喜ばれる教科書を作りたい』という思いは一緒でしたので、私の働く軸は何も変わりませんでした。

    ブックライター塾で、さらなる高みを目指す

    就社してから7年目になりましたが未だに日々勉強中。2人目が産まれたあとのタイミングでブックライター塾に入りました。育休中にも、何か会社に貢献できることを学んでおきたかったんです。そこでは、インタビューの仕方やキャッチコピーの作り方、言葉を扱う仕事のマインドなど、学べることが非常に多くありました。

    あるとき会社で、HPに載せるための家庭科教師のインタビュー企画が立ち上がったんです。そこで、ブックライター塾で学んだことが本当に役立ちました。実際にインタビューし、書いた記事がPV数も伸びたときには、喜びも一入でした。さらに、家庭科の先生に向けて書いたつもりが、生徒さんからも数多くの問い合わせが来るように。「感動しました。先生に話をお聞きしたいです」とメッセージがくるなど、自分が思ってもみなかった読者の声が寄せられるようになりました。

    実際の記事はこちら「家庭科新米先生にベテラン教員からアドバイス "体験は飽きない"」

    母である前に一人の人間。自分時間を大切に

    働きながらも家族揃って家で食事する、というライフスタイルが私の理想です。ただ、この数年は朝4時に起き、会社に行き、夕方になると保育園に子どもを迎えに行きと、バタバタという言葉が相応しいくらい忙しい日々。それでも、「働きたい」という思いが私のキャリア人生の大前提にあり、結婚をしても、子どもを産んでも「働く」という選択肢は私の中で捨てられませんでした。

    私の世代の親は今のように共働きではなく、男性は働き、女性は専業主婦、のように役割が固定化されていました。子ども時代からそんな周りの大人たちをみて、私はもっと自分の意思で生きていきたいと思っていたんです。仕事をして人の役に立つことをしたい、家庭でも夫とパートナーとして平等でありたいという気持ちも強くありました。

    そして、1人目が産まれたときもライティングの仕事を続けたことは、子育てに悩みすぎて思い詰めないようにする、私なりの工夫でもありました。仕事が子育ての息抜きになる感覚で、働くことが生活のメリハリになるのです。人には向き・不向きがあるので一概には言えませんが、子育てだけで思い詰めてしまっているお母さんは、少しでも働く時間という選択肢を考えてみるのも良いかもしれません。

    夫は、そんな私の生き方を尊重してくれていて、今では習い事のテニスも10年ぶりに再開することができています。テニスは頭をリフレッシュさせるのにすごくいいんです。私にとってはテニスですが、それが手芸でも、映画鑑賞でも、友人との談話でもいいと思うので、ぜひ皆さんも自分時間を大切にしてみてください。

    tennis_boy (1) (1).jpg▲10年ぶりに始めたテニス。小3の長男と一緒に始めました。

    また、自分だけで何事も頑張ろうとせず、できないときは「できません」、「助けてください」と言っていいと思います。「ここまでは自分でしかできない『ならでは』の仕事」と決め、それが終わるまでは責任をもって取り組む一方、誰にでもできることや専門的な人の方が早い場合は極力、外注する、協力してもらうように働きかけます。周りから話を聞くと、自分一人で抱えてしまって辛い思いをしているママさんも多いようです。

    子どものためと思ってシャカリキに頑張ってもお母さん自身が元気がなく、疲弊してしまっていたら、お子さんにもそれが伝わってしまいます。お母さんも笑顔で幸せであるからこそ、子どもにもそんな幸せな気持ちや感情が広がっていくものです。それを教えてくれたのは、「花まる学習会」の高濱正伸先生や、「AERA with Kids」の雑誌でした。今では「AERA with Kids」に子育てのポイントや、幼児から小学校低学年の学習方法についてなどで協力させていただいています。

    自分が納得できるものを世に送り出す。公私ともにバランスよく生きていく

    人に役に立ったと実感できる瞬間に立ち会えたとき、私は働いてきてよかったなと思います。マナーの本の編纂を担当させていただいた際、改定前より2倍くらい売れたと聞き、言いようもない嬉しさがありました。

    さらに、「わかりやすいので使っています」などの声をいただくと、苦労した思いや疲れも吹っ飛んでしまいます。自分の作ったものが書店に並び、人が手に取ってくれている--。学生や先生方が授業で使い勝手が良いと思ってくれる―。この仕事で報われるときは、誰かに届いた瞬間なのかなと。そこに、実際に使ってくれて「使い易い」「ためになった」という言葉をいただくと尚更嬉しくなります。

    ブックライター塾で先生からいただいた言葉が今でも私の中に残っています。それは「志を高く持つこと」。元々は孫正義さんの師匠さんの言葉からきているようですが、私の中で印象深い言葉です。「志」とは、多くの人々の夢、多くの人々の願望を叶える機会を与え、世の中の役に立ちたいという気持ち。著者のいいところを引き出す、たくさんの人に喜んでもらえるようなものをつくる、そんな大きな視点をもって仕事をしていきたいと改めて感じました。想いがある仕事は必ず人に届く。これまでキャリアを重ねる中でもそう実感してきたことです。

    同じ内容を扱っているテキストでも、編纂者や執筆者の説明一つでわかりやすいものにも難解なものにもなってしまう、そこが教科書やテキストを編纂する面白さでもあり、編集者としての醍醐味だと思っています。自分が見てわからないものは、学生から見ても絶対わからない。だからこそ、自分でも気づきや理解ができるものに仕上げるために「もうこれでいいや」という妥協をすることはありません。

    これまでの人生を通し、公私のバランスのとり方が大事だと知りました。だからこそ、私にとって「働く」ことは人生においてなくてはならないことなんです。今後も、公私ともにバランス良く生きていきたいなと思っています。

    武石暁子さんのSNSはこちら
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    Note

    まとめ

    取材後、朗らかに「少しでも人の役に立てたら嬉しいんです」とおっしゃる、武石さん。志ある仕事を、と語るお言葉からは生徒さんや先生方の学びを応援したいという気持ちが伝わってきました。私も武石さんを見習い、"志ある仕事"をやっていきたいと強く思った今回のインタビューでした。

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