未経験から始める農業"有機栽培×お惣菜の提供"で笑顔を届けたい|人生100年時代のライフシフト
- 100年時代のライフデザイン
- 公開日:2025年4月 7日

PROFILE
村野幸男
1962年、栃木県佐野市生まれ。明治大学卒業
新卒で入社したイベント制作会社で、国・行政の大イベントから、クリケットを活用した地域創生事業まで、様々な企画運営に携わった36年間。定年を機に農業の道へ転身。さいたま新都心にほど近い、さいたま市内で「"旬の野菜"の有機栽培」×「手作りの"お惣菜屋さん"」の6次化事業に挑戦。奥様との2人三脚で循環型社会の実現を目指す。
イベント企画一筋36年。退職までの5年で本当にやりたいことに向き合う
「世の中に発信できる仕事がしたい」そんな想いで新卒の時に選んだのは、イベント制作会社。入社して36年間、国際的なスポーツイベントをはじめ、様々なイベントの企画運営に携わりました。中でも私が多く携わったのが、高速道路開通などの祝典・広報イベント。高速道路は経済活性化等の多くのメリットがある一方で、土地所有者との交渉や環境悪化を訴え反対する市民との話し合いなど、数多くの壁を乗り越えて開通日を迎えています。
行政の長や議会議員から企業の代表、市民団体のリーダーの方々のさまざまな想いで"この日"を迎えているイベント参加者の全員に「高速が開通して本当に良かった」と思っていただくことがイベント開催の目的です。そのためには参加者の皆様の想いに寄り添い、配慮した企画・運営が私のミッションとなります。イベントを終えた瞬間は、達成感というよも無事に終えられてほっとする安堵の気持ちが強かったように思います。
会社員時代は、その他に国際スポーツイベント、私の生まれ故郷である栃木県佐野市でクリケットを中心とした地方創生のプロジェクトなど、多様なイベント開催の企画・準備・運営で、全国を飛び回る日々が続きました。忙しい毎日でしたが、常に新鮮で充実した日々を送ることができたと思います。一方で、30歳前に社内結婚した妻には、二人の子供の世話や、家事もほとんど任せっぱなしで、家族には寂しい思いをさせてしまっていたと思います。
そうしてイベントの企画・運営に走り続けた会社生活も、55歳になると会社から60歳の定年以降の退職?雇用延長?の選択を求められる"時"を迎えることになります。仮に65歳までの雇用延長を選択した場合でも、その後の人生はまだまだ長い。どちらにしても新たなチャレンジをするのであれば、心身共に元気なうちに次の道へチャレンジしたいと考え、私は迷わず"60歳退職"を選択しました。「何」をするかは決まっていませんでしたけどね。
丁度そのころ、義理の父が趣味でやっていた畑仕事を見ていた影響もあって、自分も先々のためには「そんな趣味もいいかも」くらいの気持ちで、自宅の近くで小さな市民農園を借りて、休日を利用して野菜づくりを始めました。自分なりに丹精込めて、手入れをして収穫の時期を迎えると、小さな農園でも我が家だけではとても食べきれないほどの収穫になりました。
せっかくの収穫した野菜を廃棄するのも忍びなく、妻がお世話になっているご近所さんや会社の同僚に配らせていただくと、これが思わぬ反響で「採れたての野菜は、野菜の味が全然違う」「こんなに甘い人参は初めて」と、大変喜んでもらえました。自分の作物に、これだけ誰かに喜んでもらえる体験はとても新鮮でした。
60歳以降、新たに「何か」を始めるのであれば、「お金」のためでなく、「誰か」に本当に喜んでもらえる仕事がしたい。趣味で始めたつもりの農業体験でしたが、だんだん真剣に農業に向き合ってみようと思うようになりました。
"学び"の機会を自らの踏み絵に、その先の覚悟が決まる
とはいえ、農業はそう簡単にできるものではありません。自分自身の本気度と向き合うためにも「アグリイノベーション大学校(AIC)」の社会人スクールに入学を決めました。1年間学んで、それでも"農業"への気持ちが変わらなければその先の"道"を決めようと、自分にとっては学びの機会が"踏み絵"でしたね。
学校のカリキュラムは、農業技術や農業経営のオンライン講義と、週末の農場実習で組立てられていました。コロナ感染拡大によるリモートの業務が増えた時期と重なり、通勤時間を含めて自由に使える時間が増えたことにより、有意義な学びの機会を創ることができました。仕事とAICの講義、そして農業実習や市民農園での農作業と、休む間もない日々が続きました。しかし私にとって、久々の学びの機会や農作業は、新鮮で刺激的な体験の連続で充実した時間を過ごすことができました。
あっという間に1年間の"踏み絵"のカリキュラムが無事修了。それでも、AICの実習と市民農園の体験しかない自分には、一人で本格的に農業にチャレンジするには、まだまだ"経験"が不足していることは明らかでした。そこで、定年退職してから1年間、農業スクールの埼玉農場やご近所の農家さん、スクールの講師の千葉県印西市の"柴海農園"に通い、有機栽培の野菜づくりをお手伝いしました。
柴海さんは千葉で400年くらい続いている歴史ある農家で、従業員も15名を超える大規模農園です。また、作った有機野菜を自社でパッケージして、お客様に直送するサービスを展開されています。そこで、有機栽培の実作業とあわせて、商品の出荷準備・値付けから物流まで"ビジネスとしての農業のリアル"を実践で学ばせていただきました。ここまでくれば、いよいよ私の"農業"への覚悟も固まり、セカンドステージの選択肢は明確に定まりました。
"有機栽培×お惣菜の提供"で"美味しい笑顔"を届けたい
たった一人で未経験から始める農業。一般の農家さんのように、農協やスーパーなどの流通に乗せるには、規格の揃った作物を安定的に栽培するスキルが必要です。そのためには、3年から5年の経験は必要と言われています。60歳の私には、とてもそんな時間はありません。作付けの面積も、一人でできる範囲は限られています。"旬"の野菜の提供で「美味しい」と喜んでもらいたい。その"喜び"を提供し続けるには、事業として成立しなければ継続できません。
その現実を踏まえ、構想したのが"付加価値の高い有機栽培の旬の野菜"×"手作り総菜の提供"でした。実は義理の父親が一人暮らしになり、食事は宅配給食に頼った生活でしたが、あまり口に合わず食が進まなくなっていたのです。妻が時より手作りの減塩食の惣菜を冷凍してフォローすることで、父の健康は何とか維持できていました。一人暮らしのお年寄りが増加する中、その多くはバランスの取れた食事の摂取ができていないとも聞いています。
"旬の美味しい野菜中心のお惣菜"の提供で、高齢者の健康の一助になれば。また、農薬や化学肥料に頼らない"安全安心な野菜の提供"で、子ども世代の未来を守りたい。"社会課題解決の一翼を担いたい"学生時代の私の青い想いを胸に、いよいよ具体的な準備がスタートしました。
まずは農地探しです。市の農政課の窓口に相談に伺い、いくつかの候補地のリストを紹介されました。農地の良し悪しもよく解らない私は、まずは自分の足で見て回り、自分なりに視察レポートとしてまとめ、また相談に伺う。そんな活動を繰り返すことで土地を観る判断基準を養いました。20か所位の候補地をレポートにまとめたあたりで、農政課の方の対応が変わりました。
ようやく、行政が私の農業への本気度を測っていたことがわかりました。「農業にあこがれ、取りあえずやってみたい...でも辞めた」という人が8割ほどいるらしく、農業とは無縁のイベント会社を60歳の定年退職し窓口に飛び込みで相談にきた私は、当初はその範疇の人と思われていたようです。紹介いただいた畑はいわゆる耕作放棄地で、相続された方も5年間放置状態。土地の手入れにご苦労されていたらしく、市からの紹介ということで信頼を得て貸していただけることになりました。
とはいえ、農地を正式に借りる農業委員会の許可が出る手続きに5か月、思った以上に時間を要しました。ようやく取得した畑も、そこからがさらに大変でした。5年間放置されていた畑だったので、車が入れる道もなく草は茫々、酷い酸性土壌ですぐには作物が作れない状況だったのです。自ら道を拓き、大量の石灰を入れ、堆肥をまき、土づくりにも随分時間がかかりました。また、水のない畑だったので、散水用のタンクを用意し、苗づくりのビニールハウスも自分で建てました。
次に進めたのが、店舗物件探し。自宅から近く、最初に野菜が採れる4月くらいに入居できる、駅前のお値打ち物件が私の希望でした。困難が予測されましたが、幸運にもこちらは、元々飲食店だったJR西浦和駅前の物件を居抜きで借りることができました。入居予定が1か月早まり、若干想定より早めにコストが発生することにはなりましたけどね。
2024年1月にハウスで種まきをして、2月末には小松菜、ルッコラ、ラディッシュ他10種類ほどの野菜の植え付けをスタートしました。柴海農園のご指導のおかげもあり、野菜は予想以上に順調に育ってくれました。
"旬の採れたて野菜と総菜の店「ゆきちゃんち」"は定年退職日の丁度1年後の2024年3月30日にオープンと決めました。目玉商品は"旬の野菜のサラダセット"、その日の朝に採れた野菜5種類以上をパッケージにしたものです。私の畑の野菜だけでは、あまりに品揃えが少ないので、柴海農園やAICで出会った仲間の有機栽培農家の皆さんにも協力いただいて、当店では用意できない野菜もお店に並べることにしました。
お惣菜づくりは、妻にすっかりお任せです。採れたての野菜の味を活かした総菜を日々研究し、新たなメニュー開発にチャレンジしてくれています。中でも、日替わりの"旬の野菜のシュウマイ"は自慢の目玉商品です。野菜中心の体にやさしい"日替わり弁当"と共に、近隣の高齢者をターゲットに準備してくれました。
オープン直前には、近隣で開催された"さくら祭り"に出店して、沢山のオープンチラシの配布も行いました。また、外装完成からオープンまで若干時間が空いたこともあり、近隣の方が「どんな店になるのだろう」と期待を膨らませてくれていたことを、オープン後に聞きました。1か月分の余分と思われたコストも無駄ではなかったようです。
迎えたオープン日、行列とまではいきませんでしたが、近隣のお客様が数多く足を運んでくれました。いやぁ、正直ほっとしました。
西浦和駅前"ゆきちゃんち"を地域コミュニティの拠点に"旬のある暮らし"の実現へ
野菜づくりを始めて丸1年が過ぎ、さまざまな体験を通じて農業の厳しさも面白みも感じる毎日です。現在は、狭い土地を有効に活用して30種類以上の野菜を育てています。"ゆきちゃんち"もオープンから間もなく1年。近隣の大手スーパーに加えて、近所に2件目の八百屋が新たにオープンしました。
大量に仕入れて大量に売る他の店と違って、うちは「今日は大根1本、キャベツは1つしかない。その代わり、ちょっとずつ変わったものがあるし、形は悪いけど美味しいと言ってもらえる野菜を置いている」他の店とは競合しないと考えています。有機で栽培しているという付加価値に加え、例えば人参だけでも、アロマレッドというオレンジ色の人参に始まり、黄色人参、紫人参、それからお正月の頃からに加わった金時人参といった複数の選択肢を提供しています。
日本国内ではあまり流通していないヨーロッパの野菜もそろえています。初めて見る野菜で戸惑うお客様には、妻が「ちょっと試食してみませんか?」とか、「この野菜でこういうお惣菜つくってみました。味見します?」とお声がけをし、お客様一人一人と向き合って、辻説法のようにしてファンの輪を広げてくれています。
これからも、大切にしている"有機栽培"や"旬の野菜"の「付加価値」へのこだわりは、より磨いていきます。でも今以上に、もっと普通の近所のおばちゃん達にも"美味しい笑顔の輪"を広げていくためには、定番商品の品揃えや、季節の端境期への対応などやるべきことはたくさんあります。その一つとして、今シーズンには畑の規模も1.5倍に拡大して、さらなる品揃えに対応していく予定です。
また、自ら耕した土で有機野菜を作り、ロスになりそうな野菜で総菜をつくる。調理の工程で出た野菜くずや、傷んだ野菜は再び堆肥として土に還す。私だからこそできる、食品ロスを極力生まない、"人と社会と自然にやさしい循環型の暮らし"の実現にも寄与していきたいと思っています。
今後は、"ゆきちゃんち"を、お惣菜や野菜の販売店というだけではなく、食をきっかけに近隣の皆さんが出会い、繋がる地域のコミュニティの「場」として、活かしていきたいと考えています。「高齢者や、子育て世代、様々な皆さんが食を中心にここに集い、コミュニケーションを通じて、世代を超えてその輪が広がる」そんな「場」に育てていきたいです。この取り組みを事業モデルとして仕上げ、ゆくゆくはそのモデルを各地に展開し、仲間の輪を広げていくことが私の夢ですね。
最後になりますが、ほとんど事前に相談することなく始めてしまったこの事業。店のオープン準備からここまで、毎日総菜の新メニューづくりに頭を抱え、日々お客様に笑顔の輪を広げ続けてくれている妻には本当に感謝しています。恥ずかしくて面と向かって伝えることができていなくてごめんなさい。この場を借りて心から感謝の気持ちを伝えたいです。
「本当にありがとう。これからも、ずっと一緒に頑張ろうね。よろしくお願いします。」