"違和感"から早期退職。就農から農福連携、さらには児童養護施設の卒園生支援へと新たなチャレンジを続けるマルチシフター|人生100年時代のライフシフト

  • 100年時代のライフデザイン

事務機販売会社に一期生として入社し、次々にヒットを続ける自社製品の波にものり、40歳過ぎには東北地区の責任者として活躍した続橋さん。50歳で直面した会社・仕事への“違和感”から、早期退職・同僚と共に就農というチャレンジの経験談をお伺いしました。

この記事の目次

    続橋 昌志 
    ・北海道歌志内出身 中央大学法学部卒 

    苦労の末、ようやく農業事業の見通しが立ち始めると共に、農福連携への展開、そして児童養護施設卒園生の支援へ。次々に新たなチャレンジを続けるマルチシフター

    自身で感じる"違和感"を素直に次の一歩へ

    浪人生活を経て苦労して入学した法学部。同期の仲間達が司法試験や国家上級試験に向けて各々頑張る姿を尻目に、自身で選んだ道ながら、どうしても法律そのものの言い回しに違和感があった私は、学業はそこそこに内装工事現場でのアルバイトに汗をかき続ける生活を送っていました。

    大型商業施設の床の絨毯張替、工場のタイル張りなど、名実共に職人として現場から現場を渡る日々。任される仕事内容も徐々にアルバイトの域を超えてレベルアップを重ねていました。それでも、大学の試験だけはちゃっかり対応して、単位は最低限確保できるよう要領良く取組み、卒業も見込めていました。

    4年生も半ばを迎え、周囲は卒業に向けて学業と就活でざわつき始めた頃。私はアルバイト先の社長に言われるまま「卒業後はこのまま職人かなぁ」と、当時年収も1000万近く稼げる誘いにほぼ心を決めかかっていました。とはいえ、折角大学まで出してくれた両親にどう説明しようか悩んでいました。

    そんな折、友人から「エプソンという会社が販売会社を設立する。一緒に受けないか?」と誘われ、軽い気持ちでお供することに。就活も初めて、事前準備なく臨んだ説明会、いきなりセッテイングされた面接で「貴社は何をやっている会社ですか?」などと、大変失礼な質問をしてしまう始末でした。

    それでもあれよあれよと、内定をいただいてしまいました。本社の入居しているビルは、新宿の高層ビル街にあり本当に素敵でしたし、女の子も沢山いるし「ここでいいかな」と他社を一切見ることなく、職人は捨て、都会生活への憧れで入社を決めてしまいました。入社後は主に代理店営業を担当しましました。

    家庭用プリンターがヒットし、業績は順調。40歳を迎えた頃には、東北から北海道までのエリアを統括する部長を任されるようになっていました。広大な担当エリアで、競合との競争も厳しくなる中、まずは地元のお客様を握っている代理店の社長達ととことん向き合い、私自身が「人」として信頼いただけるよう全力で臨みました。

    各地域で代理店社長と共にお客様と向き合う中で、市場から選ばれるためには、単に自社のモノ売るのではなく、我々の商品サービスを通じて、地元の一員として地域に貢献していく姿勢こそ最も大切だということを気付かせてくれました。当時お世話になった代理店の社長さんとは、担当を離れて10数年たった今でもお付き合いがあります。

    そんなビジネスマンとして貴重な体験をさせていただいた後、本社へ転勤。新たなビジネスを生み出す事業部の副本部長を任されました。時代はリーマンショック、厳しい市場環境の変化にどう向き合っていくべきかと考えながら、地方創生や福祉支援のビジネスの立ち上げに取組みました。

    事業の社会的意義はあるものの、当然早期の利益貢献を求める経営の要望と、収益化には時間がかかる新規事業の取組との狭間で、自身の仕事や会社組織に徐々に"違和感"を覚えるようになっていました。50歳を迎え「本当に自分はこのままでいいのか?」自問する日々が続きました。

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    これからの人生"自分の裁量で動ける仕事" "地域貢献につながる仕事"を選びたい

    そんな時、久々に同世代の仲間と飲む機会がありました。部署も業務も違うメンバーですが、以前から馬の合う仲間です。お互いの近況報告から話が進む中、3人全員が私と同様に「今」に対して強く"違和感"を持っていることがわかりました。50歳前後という年齢のせいなのか、偶然にも「このままの状態で居る訳にはいかない」と全員が感じていました。

    とは言え、50歳を向かえた我々が今更転職ということは考えられない。これからの人生、大切なのは誰かの指示で動くのではなく、"自分達の裁量で動ける仕事"がしたい。また、"地域への貢献"も重要なキーワードでした。大切にしたいことは、そんな想いで一致していました。

    メンバーの一人が唐突に提案したのが"農業"でした。なんと全会一致、即断即決で「農業をやろう!」と決定しました。日本の自給率の低さへの問題意識もありましたが、何より組織のしがらみからの開放、大自然の中で年齢も気にせずいつまでもアクティブシニアとして健康で居られる仕事。「これしかない!」と腹落ちしましたよね。

    役職定年まであと4年。そのゴールを目指して、着々と準備を進めました。農業もやるからには、しっかりとビジネスとして取組みたい。法人の立上に向けて起業塾への参加、農業フェア等関連イベントでの情報収集など、秘密プロジェクト(笑)が動き出しました。我々は当初より、東京で農業する事にこだわりました。

    近隣に最大の市場があり、物流コストが抑えられる。また、"東京野菜ブランド"への憧れもありました。苦労したのは、農地探しです。当初考えた23区内での就農は当時の規制で現実的には厳しいことが判明し、徐々に農地の候補地探しは西に向かい、都下での候補地探しに奔走しました。

    残り2年になると、家庭菜園用の農地を借りて週末には農作業の実践に挑みました。最初に取組んだのは、憧れの有機農法への挑戦です。我々のみで臨んだ素人の挑戦は見事に失敗。翌年は仕切り直し、専門家の指導を素直に学びました。そうして初めて収穫に至った時は嬉しかったですね。僅かながら1歩を踏み出す勇気に繋がりました。

    最後の難関は家族の理解でした。新規就農が厳しいことは想定していたものの、情報収集を進めるにつれ「儲からない」は確信になりました。そこで、55歳から年金受給までの10年間の収入が"0円"でも、退職金と妻の収入を併せて贅沢をしなければ、十分に生活が出来ることを細かくシュミレーションし、妻と一番心配していた親父にもプレゼン。無事に承認もらいました。いよいよ「役職定年、退職金が割増満額の日」に計画通り会社生活を卒業しました。

    多くのご支援で、アーバンファーム八王子設立

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    東京での就農には、東京都農業会議と連携した1年間の農業研修が必須です。私達は、短期の就農体験をさせていただいた、八王子の中西農園さんにお世話になりました。並行して、農業委員会の承認をもらうための5か年の計画策定、法人準備などの手続きを進めていきました。難関だった農地の確保も、中西農園さんの強力なご支援もあり、八王子で無事確保することが出来ました。

    併せて取り組んだ、販売先の開拓。紹介いただいた専門商社さんから「小松菜作ってくれませんか?」というご相談をもらったのをきっかけに、販売先のめども立ち、事業としての農業の一歩を踏み出すことが出来ました。中西さんをはじめ、地元の新規就農支援の皆さんとのご縁と暖かい協力には本当に感謝ですね。

    いよいよ農地も決まり、正式に"アーバンファーム八王子"を設立。農地での作付けがスタートしました。最初に育てたのは、商社さんとの約束の小松菜です。手塩にかけて育てた小松菜が、なんと収穫直前に白さび病にやられ、いきなり多くの作物をだめにしてしいました。そのこと自体はショックではありましたが、無事出荷できた小松菜が直売所に並び、こっそり見守る我々の前で完売していく姿、ドキドキの中での感激は今でも忘れられません。

    当初は、失敗も沢山経験しました。初めて挑戦したブロッコリーが冬の寒さで全滅したり、2年目の春先の小松菜は収穫が追い付かず育ち過ぎでダメにしたり、サツマイモの熟成に失敗して400キロを全滅させてしまったり、辛い瞬間も沢山ありました。そう簡単にはいかないですよね。いい勉強になりました。

    その後、農地の拡大も徐々に進み、様々な経験値を重ねながら、現在は5000㎡の畑で年間30種類以上の野菜を育てています。販売先も近隣の直売所を中心に、スーパー、地元の居酒屋さんなど、着実に広げていくことが出来ました。愚直にやり続ける中で、様々な出会いがあり、縁が繋がっていくことを身を持って体感しました。

    お客様が求めるものを、"顔が見える農家"として責任もって提供する。お客様の喜ぶ顔が直接見える事は大きな励みになっています。3年前から、お客様の要請でワイン用のブドウ作りにもチャレンジしています。まだまだボリュームは少ないですが、だんだんと美味しいワインになっていくのが楽しみです。

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    農福連携本格始動。"アクアリーフ"販売スタート

    前職がキッカケで縁の出来た児童養護施設の若者達の自立に向けて、農業体験の受け入れは、創業当初から取り組んでいました。学校の長期休暇のタイミングで数名の中高生達を受け入れ、一緒に農作業で汗を流します。対人対応が苦手なメンバーが多いのですが、自然の力ですかね、作業に慣れてくるにつれ、我々に対しても心を開いてくれます。

    出来ることが増える喜びの笑顔の姿を見ると嬉しいですよね。そんな取り組みに八王子の市役所が注目して、生活困窮者の方や、障がい者の方の受け入れもさせていただくようになりました。現在も週3回位のペースで2,3人の方が通っています。障がいのある方の対応を、特に勉強したこともない我々が適切にできるのか、当初は不安でしたが全くの杞憂に終わりました。

    彼ら彼女たちは、遅刻もないですし、お願いした仕事をしっかりやってくれます。各々の特性で、苦手なこと・得意なことはあります。でも、それは我々も一緒ですよね。常に穏やかに、かつ着実に頑張ってくれる彼らはうちの畑の貴重な戦力です。彼らと共に仕事をしたことにより、受け入れ前に私自身のバイアスのかかった考えで、不安を感じていた過去の自分を恥ずかしく思います。

    障がいのある人もない人も、お互いの特性を理解し、相互で補いながら協働することで、目標を達成できると心から実感できました。そんな障がい者施設との縁で、農福連携の水耕栽培の工場をスタートさせます。1年半ほど前から、駅前のビルの一角でベビーリーフやリーフレタスの水耕栽培の実験をやってきました。

    実験は順調で、安定的な収穫の目途が立ったのと、販売先のスーパーとの提携も決まり、来年からは現在の実験設備の10倍くらいの規模感の水耕栽培工場がスタートします。障がい者のスタッフ15名位の稼働を予定しており、水耕栽培の作業指導はもとより、事業全体の運営を当社で請け負う形で「健康リーフ"アクアリーフ"」の試験販売が始まります。

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    児童養護施設の卒園生に寄り添うことはライフワーク

    農業、農福連携、そしてもう一つの私のライフワークは、児童養護施設を卒園した若者たちの自立支援です。児童養護施設は、様々な事情で親とは一緒に住むことが出来なくなってしまった子供達を支援する施設です。子供達の多くは、本来必要な時に与えられるはずの親からの愛情を適切に受けることが叶わず、幼い時に受けた心の傷は大きいのでしょう。

    学校の先生や施設の職員にも心を開くことが出来ず、卒園後も社会に居場所を見つけられない若者達も多く見受けられます。もちろん、そのような辛い境遇や環境な中でも、自分の足で力強く歩んでいく頼もしい若者達もいます。ただ、残念ながらそのような人は少数派で、児童施設卒園後に社会との接点に苦悩し、悩みを打ち明ける相手も見つけられず、孤独に苦労している若者達が多いことを伺いました。

    児童養護施設の自立支援の一環で、長期休みに農業体験の支援をお手伝いしたことをきっかけに、「児童養護施設卒園後の若者達の役に少しでも立てれば」そんな想いで彼ら彼女達と接点を持つようになりました。彼らの話を聴くと、生活の基盤の住む家の問題を抱え、結果新たな仕事に応募すらできない。そんな状況が見えてきました。

    そんな彼らに、緊急避難場所の"家"を提供することにしました。妻を千葉に残し、単身で八王子生活を続けていた私は、4LDKの部屋を購入し、二部屋を彼らの居場所として提供することにしました。次の家・仕事が決まるまでの、臨時の緊急避難場所です。10日くらいで次の家も仕事も決まって旅立てる人もいますが、メンタルが傷ついて療養も含め数カ月間滞在する人もいます。

    これまで20名以上の若者達の居場所として活用されています。私の家から無事に旅立ったその後も、多くの若者達と伴走しています。身寄りのない彼ら、DVから逃げるため親から身を隠さざるを得ない彼ら、様々な事情を抱える彼らの安心の居場所になってあげられたら、そんな想いで繋がっています。

    彼ら達のサポートは、並大抵ではありません。本当に私が彼らの役に立てているのか?安心の居場所に成れているのか?正直わかりません。しかし、幼くして心に傷を負ってしまった彼らから頼りにされる限り、少しでも力になれるのであれば、もうひと踏ん張りし続けたいと思っています。

    次世代にバトンを繋ぎ、更に次のステージへ

    水野さん笑顔と共に20241108_152201.JPG

    50歳を迎え、当時の"仕事への違和感"から「自分で責任のとれる仕事がしたい」そんな想いで前職を退職して、仲間と共に就農して間もなく10年。会社での仕事では決して出会うことのなかった人々との出会いや、暖かい支援、学びの機会を通じて、ここまで走ってきました。あっという間でしたね。

    そして、何より前職の同期入社の水野の存在なくして、今日の事業を語ることはできません。共に汗した初めての農作業に始まり、農業の事業化、農福連携への展開、そしてライフワークの児童養護施設卒園生の支援に至るまで、常に共に歩み続けてくれた彼。「この挑戦を通じて、地産地消の社会つくりの実現を目指したい」彼の熱い想いと、暖かい人柄に幾度も救われてきました。

    面と向かっては中々お礼も言えてもいませんが、新たなチャレンジをする時、本当に信頼できる仲間の存在はかけがえのない宝物ですよね。これからも、新たな作物へのチャレンジや、農福連携を軌道に乗せ展開していくことなど、まだまだやりたいことは盛り沢山です。正直、会社員時代より就業時間は長くなってしまっていると思います。

    ただ、自分の裁量で、お日様の元自然の中で過ごすからでしょうか、とても元気です。"農園セラピー"のお蔭ですかね。そして自分が元気なうちに、我々が学んできたことや支援いただいたことを、次世代を担う若者たちに伝えていきたい。そして、その若者たちが、 我々以上に進化した農業や農福連携をもっともっと発展させてくれたら本望です。

    次世代へのバトンリレーが出来たら、私はすっぱりこの世界からは卒業して、長らく迷惑かけ通しだった妻共々、瀬戸内海の見える場所に移住して、ゆっくりと西日本の各所をキャンピングカーでめぐる生活をしたいと思っています。ちゃんと妻が付いてきてくれるか?ちょっと心配ですけどね。(笑)

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