気分は女子大生!進化成長し続ける68歳|人生100年時代のライフシフト

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気分は女子大生!進化成長し続ける68歳|人生100年時代のライフシフト

静岡県出身の増見 佳代子さんは、青山学院大学を卒業後、外資系保険会社に就職。離婚を期に、ロンドンへの留学を決意しました。帰国後、語学系出版社での編集、新たなパートナーとの出会い、出産育児を歴て2008年より個別指導塾講師へ転身。志望校合格に向けて、生徒と共に進化と成長を続ける増見さんにお話しをうかがいました。

この記事の目次

    外資系保険会社から一転、憧れのロンドンへの旅立ち。

    全共闘の熱が冷め、世の中も、私自身も特に未来への明確なビジョンを描けないまま、就活でお会いした人事担当者の素敵な姿に憧れて、大手町の外資系保険会社へ就職しました。入社後は、一般職として業務部に配属されました。任された仕事は、解約返戻金の計算業務。

    外資系なら大好きな英語が磨けるのでは、との思いとは遠く離れた仕事にモヤモヤしながらも、上司や同僚にも恵まれ、何不自由なく(?)OL生活を過ごす日々が続きました。そんな私の最初の転機は入社5年目、学生時代から交際が続いていた彼との結婚、そして2年後の離婚でした。

    当時、寿退社が常識だった時代。ましてや「離婚する私の居場所が社内にあるはずがない。」と考え、迷わず退職しました。とはいえ将来のビジョンは相変わらず曖昧なまま、目の前の生活を送りつつ、好きな英語を磨くために旅行代理店や外資系航空会社等でアルバイトをしながら3年間を過ごしました。

    そもそも私と英語との出会いは、生まれ育った静岡で過ごしていた小学6年生のとき。大好きな父からクリスマスプレゼントにもらった「メアリーポピンズの英語の絵本」がきっかけでした。物語のファンタジーの世界に引き込まれると同時に、今の自分の周辺環境とは全く異なる文化や素敵な街並みへの憧れが、いつしかイギリス・ロンドンへの憧れへと発展していきました。

    英国文学が大好きになると同時に、いつかは憧れのロンドンへ行きたいとの想いから、英語の勉強にも力を入れるようになりました。大学進学では、目指した英文学部への想いは叶いませんでした。しかし、学部で唯一の米国人の先生のゼミを選択し、更に学校の講義とは別に、四谷の語学学校に週4回通い、苦労しながらも少しずつ英語の力をつけることができていたと思います。

    ようやくアルバイトながらも、英語を使える仕事につくことができましたが、離婚をして一人になった私はこれからどう生きていくのか、何を目指すのか、自分自身に問い続ける日々が続きました。そんな時、何気なく開いた新聞の芸術欄で、ラファエル前派の英国画家ロセッティの作品ベアター・ベアトリックスを知ったことが、転機となりました。ロンドンのテートギャラリーでぜひ本物を観てみたい。再びロンドンへの憧れの気持ちに火がともった瞬間でした。

    ある日、一つの広告に大きく心が動きました。「ロンドンの修道院でボランティア活動をしながら、語学学校にも通える」という求人広告で、「これだ!」と思いました。憧れのイギリス行きのビザ取得には全く迷いはなかったですね。就職も結婚も何となく流れに任せてきた私が、初めて意思を持って下した30歳の決断でした。

    ヒースロー空港からの帰国の飛行機、涙が止まりませんでした。

    ロンドン生活は、9月からの修道院での就労に備えて、ホームステイ先から語学学校への通学することから一歩を踏み出しました。メアリーポピンズの世界をそのまま絵に描いたような素敵なホストファミリーに囲まれて、すぐにイギリスが大好きになりました。

    ホームステイでの3カ月間の準備期間を順調に過ごし、予定通りカトリックの修道院の寮生活が始まります。そこで待っていたのは、修道院が経営する施設で子どもたちの支援をする仕事でした。施設では、主に癲癇の症状を持っている子どもたちが生活していました。普段は普通に生活している子どもが、突然の発作で痙攣を起こす瞬間に初めて立ち会った時は、衝撃でした。

    それでも共にサポートしてくださる修道女の皆さんや、医療の専門家のご指導により、発作時にも徐々に落ち着いて対応ができるようになっていきました。また、個々の子どもたちの特性を理解し、各々に合った対応により、信頼が得られていることを実感できるようにもなっていきました。仕事の苦労は多かったですが、自分が子ども好きであることに初めて気づいた瞬間だったかもしれません。

    もちろん、ロセッティの作品ベアター・ベアトリックスに会いにテートブリテンには何度も足を運びました。至高の愛の行方を教示したこの作品には神々しさすら感じ、改めて人を愛する勇気を与えてくれたように感じます。

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    語学学校は刺激的で本当に楽しかったですね。イタリアはじめヨーロッパの各国、アジアや、革命直後のイランから来た方もいました。最初は片言の英語でぎこちないコミュニケーションでしたが、英語力を磨く目標に向けて、様々なルーツの人々がお互いに協力し合うなかで、母国を離れた者同士の特別な友情関係が結ばれていきました。決められていた1年間の留学生活はあっという間に過ぎていきました。

    かけがえのない友達、おおらかで自由な空気、バツイチの自分を意識することなく過ごせる寛容な風土...。私にとって最高の居場所となったロンドンの街から、たった1年で離れることはもはや考えられなくなっていました。とはいえ、修道院の寮も仕事も、エージェントとの約束通り1年で終了せざるを得ませんでした。

    そこで私は、当時ロンドンでブームになっていたイギリス人向けの日本語学校の仕事を見つけ、友達とルームシェアできる1軒家を探し、1年半留学ビザを延長しました。それでも、ビザの延長期間の問題や、さすがに貯蓄も底をついたこともあり、ついに帰国せざるを得なくなりました。都合2年半のロンドン生活でした。ヒースロー空港からの帰国の飛行機に搭乗した時は、寂しくて涙が止まりませんでした。

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    再婚、出産、英語で世界を広げる。

    帰国後は、語学系出版社で編集者の仕事に就きました。初めての編集の仕事も、ロンドン留学で以前の自分よりも自信がついたせいか、楽しくできました。私生活でも、協力会社との会食で出会った彼と意気投合、お互いにそれなりの年齢になっていたこともあり、結婚、そして出産と、とんとん拍子に展開が進みました。

    出産準備のために出版社は退職し、しばらくは子育てに専念しました。しかし、近くに住む母親のサポートもあって、息子が幼稚園の年長に進級したことを機に、少しずつ仕事に復帰することに。とはいえ家庭と仕事との両立が大前提、できれば英語を活かせる仕事をと考えていた中で、子ども向けの出版社が経営している英語教室で、小さな1歩を踏み出しました。

    主に幼稚園や小学生の子どもたちを対象に、ダンスや歌、遊びを通じて楽しく英語に親しむきっかけを作る教室でした。楽しく英語を学んで、英語を通じて世界を広げるきっかけにして欲しい。私にとって英語と出会うきっかけとなった"メアリーポピンズの絵本"のような存在に、私自身がなれたら。そんな思いで仕事をしていました。可愛い子ども達の笑顔に囲まれて、大好きな英語を教えるこの仕事は楽しかったですね。

    息子の成長に伴い徐々に仕事の時間を増やせるようになり、中学生のクラスも担当するようになりました。英語を楽しく学びたい小学生の子どもたちと違って、中学生は各々が目的を持って教室に通ってきていました。受験の準備、苦手の克服、留学のための準備など様々な目的をもった6~8人クラスの集団授業で、各々の目的達成をサポートする仕事です。

    「英語を通じて世界を広げるきっかけにして欲しい」という私の想いは変わらないものの、全く違う仕事に臨む感覚でした。集団教育でできる精一杯のことを生徒とともに重ねて、見事に目的を達成して喜びいっぱいの卒業生を送り出すときは、もちろん私も嬉しかったです。でも、私の記憶に今でも刻まれているのは、想いが叶わず、目標の学校に合格できなかった生徒さんの方かもしれません。

    今でも忘れないのは、Aさん。私のクラスに入塾して、英語がどんどん好きになってくれて、学校での成績もどんどん上昇して、本人ももっと英語を伸ばせる高校を目指したいということで、都立K校を目標に猛烈に頑張りました。さすがにK校は難しいのではと私は正直思ったのですが、本人もぎりぎりまで頑張り、当時の私にできる最大限の応援をしました。

    しかし、残念ながら不合格。私がキッカケで英語が好きになり、自ら実力以上の目標を掲げチャレンジ、でも結果としてつらい体験をさせてしまった。十分なサポートができなかったことを本当に申し訳なく思ったし、悔しかった。集団授業の難しさを感じた瞬間でした。

    生徒の目標達成を支え、達成した実感がもてる仕事への挑戦。

    これまで「楽しく英語を学び、英語で世界を広げる」ことを目指してきた私ですが、Aさんとの出来事を機に、「一人一人の目指す目標の達成を支援し、共に達成の喜びを実感することを目指したい」という想いに変化していきました。そんな折、通っている教室の閉鎖統合が決まりました。

    それを機に"英語教室"から、"進学塾"への挑戦を決めました。50歳を超えての新たな挑戦でした。一人一人と向き合い、共に目標を目指す個別指導にチャレンジしたいと考えた私。とはいえ50歳を超えた私に機会を与えてくれる職場があるのだろうか?正直不安でした。
    そんな私にチャンスをくれたのが、トーマスでした。

    英語教室で一部、進学のサポートはしていたものの、本格的進学塾でさらには個別指導。私でも本当にできるのかと、不安を抱えながら入社させていただいたことを覚えています。入社時の研修で、個別指導のポイントを丁寧に指導いただきました。また、用意された研修の教材は、英語教室の集団教育におけるジレンマを抱えていた私にとって共感することが多く、一つひとつが腹落ちし、徐々に不安から期待感へと変わっていきました。

    9月スタートで、最初に担当したのは中学2年生、受験までは1年半。やはり、個別指導の1対1で絶対に成果を出さないといけないという責任感から、すごく緊張しました。その緊張感は16年経った今でも変わっていないかもしれません。10月にはさっそく中間試験。私自身が試される場として、正直恐怖でしたね。結果は今一つ。そう簡単には成果が出ないことを、改めて気づかされました。"それでも必ず成果を上げて見せる"そんな覚悟を新たにした瞬間でもありました。

    その後、年明けから春先にかけて担当する生徒さんの数が徐々に増えていき、夏頃には7人の生徒さんを担当するまでになりました。とにかく最初の1年は本当に必死でしたね。私自身が英語を学んできた経験から、英語を身に付けるにはいくつかのパターンがあって、そこさえ磨けば必ず成果につながると考えています。

    一人ひとりの現状の力を見極め、伴走し続けました。7人のうち5人が中学、高校の受験生でしたが、お陰様で5人全員が何とか合格することができました。ホッとしたことを覚えています。

    合格の笑顔、あの感動は今でも忘れません。

    その頃、印象に残っているのはBさん。私立の中学に通っている中学2年生でした。名門の大学付属のI高をめざしての入塾でした。独特の教育方針で育っていた彼女、受験対策に向けたノートの取り方を教えるところからのスタートでした。合格のゴールから逆算して、そのギャップを埋めるために、次々に課題を与え続けました。

    まずは、とにかく単語を増やすこと、その為にも英英辞典を活用して英語の意味を英語で理解すること、10年分の過去問を準備して時間内に解く練習をすること等々...何としても合格させてあげたい気持ちで一杯でした。ところがそんな私の気持ちは、かえって逆効果となり、半年後の初夏を迎えるころから彼女の態度が急変していきます。

    あれほど頑張っていた宿題をやってこなかったり、講義そのものを欠席したり、あきらかに受験へのモチベーションがダウンしているようでした。私の合格への焦りの気持ちが、彼女にはプレッシャーになってしまい、頑張る気持ちを失わせてしまったことにようやく気が付きました。思春期の中学生の揺れる気持ちに十分に寄り添うことができていなかった私、申し訳ない気持ちで一杯になりました。

    改めて関係構築からの仕切り直し、彼女の"今"の気持ちに寄り添い、彼女のペースに合わせて進めていくように大きく方向性を転換しました。心を閉ざしかちだった彼女とのコミュニケーションの機会を大切にし、受験とは離れた彼女の好きな犬の話、家族の話、彼女を理解することに努めました。

    徐々に関係を修復し、彼女のエンジンに再び火が付いたのは10月くらいのこと、受験まであと2か月半になっていました。2か月半、できる準備を共に全力で取り組みました。でも失った3か月間はあまりにも大きく、I高合格の到達ラインには届かせることは難しかったですね。それでも、彼女はI高1本勝負の方針を変えることはありませんでした。そして迎えた試験日、彼女の本番での勝負強さを信じるだけでした。

    祈るような気持ちで迎えた合格発表当日。トーマスの教室から「合格した」との連絡をいただいたときは本当に嬉しかったですね。直後に教室にお母様と共に来校されて、彼女の「奇跡だったよね!ありがとうございました」と満面の笑顔に会えた瞬間は本当に感動しました。今でもあの感動の瞬間は忘れません。この瞬間のためにやっている仕事なんだ!と改めて実感しました。

    気持ちは女子大生、日々進化と成長の68歳。

    個別指導を担当するようになって16年。100名近い受験生を担当してきました。最近は、大学受験を目指す生徒さんを担当することが増えてきています。東大や京大など、最難関の大学への"合格の笑顔"の感動の瞬間を毎年のように体験させていただいています。

    大学受験の長文の問題では、最新の政治や経済の問題、科学技術や芸術文化に至る多様なテーマが取り上げられています。その対策のためには英語の知識を超えて、様々な分野のテーマそのものを理解することが必要になります。最先端の知識を習得し続けることは大変ですが、本当に面白いことです。お陰様でこの歳でも学び続けて、自分自身が進化と成長をしていることが実感できていて、とても楽しく感謝しています。気分は女子大生ですね。

    もちろん、実際には生徒さんとは50歳位の年齢ギャップがあります。それでも、女子高生の間で性格診断が流行っていれば私自身も体験してその結果を話題にしたり、サッカーW杯の予想で盛り上がったり、私自身がむしろ高校生とのコミュニケーションを楽しんでいるのかもしれません。

    毎年、受験が終わるたびに、もっとこうしておけば良かった、ああしたほうが良かったのでは?と反省することの繰り返しです。今でも、担当する生徒さんと最初に会うときは緊張します。各々の生徒さんの状況を踏まえ、各々の目標の達成に向けた準備をすることを大切にしています。日々の準備が授業のクオリティを決めるので、受験生に負けないように"合格の笑顔"のために頑張っています。

    先日、久しぶりにロンドンを訪問してきました。ロンドンは、「英語を通じて世界を広げる」ことをめざす私の原点です。今のトーマスでの仕事を通じて、一人でも多くの"合格の笑顔"を生み出すことで、一人ひとりの未来の可能性を広げる。この仕事が自分にとって天職だと思っています。授業へのお呼びがかかる限り、いくつになっても"合格の笑顔"のために頑張り続けたいですね。

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