生き辛さからの脱却!50代でも未来が楽しみな自分に変われる!|人生100年時代のライフシフト

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生き辛さからの脱却!50代でも未来が楽しみな自分に変われる!|人生100年時代のライフシフト

はり灸治療院クオーレ勤務と同時にオンラインでHSP未来メソッドセラピストとして「誰でもいつでも楽なカラダと楽しい人生を取り戻せる」活動を展開中の西畑ありささん。

この記事の目次

    PROFILE

    西畑 ありさ(にしはた ありさ)
    東京生まれ北海道育ち。美大卒業後に都市計画プランナー、グラフィックデザイナー、専門学校、高校での非常勤講師、アートディレクターを経て、福祉の世界へ転身。現場で障がい者の方が心だけでなく身体症状にも悩む現実を知り、鍼灸師の国家資格を取得。月間70名の施術にあたる針灸治療院勤務の傍ら、オンラインで生きづらさを抱える方々の回復セラピーを展開。

    屈折した転校生からデザイナーの夢への挑戦

    銀行勤務の父の仕事の関係で、4歳で生まれた東京港区を後にし、北海道へ。
    根室から中湧別、士別、そして帯広へ転校を繰り返した少女時代。ギフテッドの兆候があった私は、幼少のころから、一人で本を読むのと絵を描くのが大好きな大人びた子でした。家ではいつも一人で留守番していた事を覚えています。

    学校では、勉強も、スポーツもそれなりに取組んで、優等生のポジションを維持できるように頑張り、スクールカースト上位のポジションが取れるよう努めていたと思います。でも内面では「学校にも、家庭にも居場所がない。誰も私の事をわかってくれない」そんな屈折した感覚を持って過ごしていました。

    高校2年の時、父の次の転勤の話があった時、迷わず、一人暮らしをすることを選択しました。進路について考えるようになったのはその頃でした。通信添削の先生である現役大学生と進路の相談をする機会をきっかけに、自分は何がしたいのか?何ができるのか?そんな自分への問いかけを続ける中で「自分の好きなこと=絵を描く事」にたどり着きました。

    それで幼少期から好きだった美術大学を志望することにしました。高校二年生から地元の画家に師事してデッサンを習っていましたが残念ながら現役では不合格。翌年札幌の美術専門予備校へ通い、直前に東京の美術予備校へ。東京と地元札幌の情報の格差に愕然としながらも、運よく多摩美に入学する事が出来ました。

    憧れの東京生活。待っていたのはいきなりの人生初の挫折でした。絵が好きで、絵が上手で(自分では)。それで選んだ学校。「自分はできる子なんだ」と思って過ごしてきた北海道の思春期時代。全国のレベルの違いをいきなり見せつけられることになりました。「自分は絵が下手」をつきつけられて、絵を描く事自体が嫌いになりそうでした。初めて感じた挫折ですね。自信を失いもがく日々。

    救ってくれたのは80年代初頭のヘタウマ系のイラストレーター達の作品との出会いでした。元々表現系に興味が高かった私は「これだ!」と思いましたよね。苦手の克服より、自分にできる事に集中する事で、何とか前を向く事が出来ました。イラストや写真の表現系に力を入れる事で、自分なりのパフォーマンスを発揮出来るようにもなりました。挫折で苦しみながらも、自分の持ち味を見出していく貴重な体験になりました。

    就職、そして二度目の挫折、初めての"居場所"との出会い

    そして迎えたバブル景気真只中の就活。私は、少し地味だけど、インダストリアルデザインの日本の基礎を築いた老舗のデザイン事務所に無事入社する事が出来ました。入社して担当したのは、学生時代に学んだグラフィックデザインとは、全く無縁な都市デザインや、環境デザインの分野でした。

    戸惑いしかなかった私でしたが、上司に恵まれて、都市デザインの考え方や、世の中目線で物事を捉える事等の教えを受ける新鮮な機会となりました。二年目からは、随分仕事も任せてもらえるようになりました。私でいいの?と不安一杯の私の背中を、温かく押してくれた上司には感謝しかないですね。

    その後も、様々なプロジェクトに携わる事を通じ成長実感のある充実した時間を過ごす事が出来ていました。間もなく30歳を迎える頃、そんな充実の時も突然、幕が下ろされます。リストラです。バブルの崩壊で、業績ダウンしてしまった会社から、ある日、数名のメンバーが呼ばれ、突然の肩たたき。「私!ですか?」衝撃でした。2度目の挫折ですね。

    途方に暮れる暇もなく、生きる為に、とにかく仕事探しは必死でしたね。ありがたいことに学生時代に取っていた教職の免許が活きて非常勤講師の仕事が間を置かずに見つかりました。フリーランスでデザイナーの仕事も紹介で頂けるようになり、何とか生活の目途を立てる事が出来ました。また、その頃、パートナーとも出会い、事実婚することができました。

    突然のリストラを何とか乗り越え、お陰様で、公私共に安定した生活を送ることができるようになりました。そんな8年間の生活が突然失われます。二人の間にいつしかずれが生じ、溝となり、ある日些細な言い争いをきっかけに事実婚は破綻。当たり前だった日常に、ぽっかりと穴が開いてしまった感覚になりました。

    悪いことは重なるもので、継続していた講師の契約がそのタイミングに打ち切り、デザインの仕事ではセクハラ、とトラブルが重なる始末。打ちのめされ傷ついた、これまでとは違う自分がいました。それでも何とか細々と仕事は続けていましたが、朝、目が覚めると「ああ、また1日が始まってしまう...」と、絶望的な気持ちになりました。一番したいことは寝ること、つまり、永眠!?とさえ思っていました。

    そんな、どん底からようやく脱出できたのは、1冊の本との出会いでした。まだまだ具合が悪かったころ、以前仕事を頂いたことのある知人から、ご自身が翻訳した本の「ブックデザインを西畑さんにお願いしたい。」との連絡でした。とても仕事ができる体調ではない事をお伝えしたところ「納期は西畑さんのペースでいいからぜひやって欲しい」と言われ、お引き受けすることにしました。

    それは、本当に回復することは難しいとされていた精神障がいが、信頼できる繋がりやサポートがあれば回復できるという精神障がいの方を元気づける内容でした。一つ一つのエピソードと向き合い、どうすれば、この想いが伝わるだろう、思わず手にとりたくなるだろうとイラストや、デザインの工夫を重ね、心を込めて創り込んでいく中で、どんどんのめり込んでいく自分がそこにいました。

    1ページずつ目に見える形で出来上がっていくと、自分の気持ちもそれに伴って階段を一段ずつ登るように回復していったのです。

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    生き辛い想いをしている人をサポートしたい。私自身が入り口でした

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    その後、社会に復帰し介護施設のアートディレクターを経て、特例子会社や、いくつかの障がい者施設を経験した後、NPO法人が運営する就労支援B型事業所のカフェで責任者を任されることになりました。私自身が飲食サービスの仕事は初めての体験、手探りの中での店長業務のスタートでした。

    勿論、障がいの種類も、その日のコンデションも違うメンバーとの店舗運営は一筋縄では行きません。でも、一人一人が各々に持つ個性、メンバー各々の日々の変化と向き合う中で、私自身が、これまでになく素の自分でいられる居心地の良さを感じる様になりました。寧ろ、障がいのあるメンバーが様々な気付きを与えてくれました。

    そんな中で、メンバーの動作の特徴に気付きました。普通に業務を進める時、体に不自由はないと思われている精神障害を抱えている人たちの動作がぎこちなく、固いんです。ある時何気なく、そんなメンバーの肩に触れた時、驚きました。肩がちがちで、固くなっていました。

    一生懸命仕事をしたくても、体が思うように動かない、必要以上に疲労感を感じてしまう、もっと自然に仕事が出来るようにしてあげたい。そんな想い、そんな気づきの中で、直接的なきっかけとなったのは、メンバーOさんとの雑談でした。「首痛いときあるんですよね」と言う私にOさんが、シール鍼をくれたんです。これは凝っている部分に貼るとコリが改善すると言うもの。「これだ!」と想いました。

    カフェの仕事も5年位頑張って、やりがいも感じることの多い仕事でした。但し50歳をむかえ、独身の将来に不安を感じていたのも正直でした。年をとっても活かせる、長く働ける資格取得についても考えるようになっていた、丁度そんな時でした。辛い想いをしている人の役に少しでも立ちたい、女一人でも長く仕事を続けていきたい。国家資格鍼灸師へのチャレンジの覚悟を決めました。

    50歳でもできる!国家資格への新たな学びのスタート

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    そこから、専門学校選びの日々が始まりました。鍼灸師の国家資格は最低でも3年間の養成期間、合格率は約7割前後、入学金や授業料合わせて3年間で約400万円以上。1年かけて複数の学校に足を運び、話を聞いて検討しました。まず、昼間は仕事をする必要があったので、夜間部があること、場所が便利なこと、私に合う校風などを中心に話を伺いました。

    その中で、通常の講義に加え、美容鍼灸や、婦人鍼灸と言った、最新の治療方法をゼミ方式で、より実践的なプログラムを提供している事、経絡、中国式と多様な技法を学べる事、最後は私の動機「生き辛い人をサポートしたい」に共感してくれた、日本医療柔整鍼灸専門学校(以下、日本医専)を選びました。52歳の決断でした。

    久しぶりの勉強は大変でした。14教科ほぼ全てが、初めての内容でゼロから覚える事ばかり、しかも国家試験後に大事なのは鍼灸技術。さらにその先に就職ができるのだろうか?不安はつきませんでしたが、とにかく試験の合格を目標にやれることはやった感があります。日本医専は、先生がフレンドリーで受験対策も夏期講習や直前の特訓など親身になって向き合ってくれました。

    全くの未経験者で、身体に関する知識も乏しかった私に、根気強く接してくれた先生方には本当に感謝しています。特に印象的だったのは「解剖学」と「生理学」。私には正直、遠い分野の講義でも、先生自身が楽しんで教えてくれているのが伝わるんです。免疫細胞の働きをドラマのように話してくれたり、五行色体論なんていう難解な講義も私の目線に合わせて教えてくれたり、お陰で私も学ぶことが楽しくなりました。

    勉強だけできるこの3年はなんて幸せなんだろう!と心底思いました。仕事は頑張っても成果が出ないこともありますが、勉強はやれば必ず成果が出るのですから。一方で、就活はやはり年齢の壁はが高く、苦労もしました。ただ、そんな私にも親身になって色々と相談できた学校のキャリアセンターの存在はとてもありがたかったですね。

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    お蔭様で、何とか無事に最短の3年間で鍼灸師の資格を取得する事ができました。資格取得後、私が選んだ治療院は多摩センターの駅前の現在も勤務している治療院です。

    年齢不問とうたいながらも、実は若いスタッフを求めている治療院が多い中、この院長先生は、スタンスが全く違いました。これ迄の私のまなびや、キャリアにじっくり耳を傾けてくれて「そんな西畑さんだからこそ出来る治療を実践して欲しい」と本気で仰って頂きました。

    勿論、鍼灸の治療はそう容易ではありません。患者さんの症状を改善する事が出来ない事や、結果的にクレームに繋がる事さえありました。その度に院長や、同僚の皆さんの温かい愛情で何とか乗り越えてはいきましたが、この仕事の難しさや、経験値の重さを痛感する日々でした。それでも任せて支えて頂いた院長の懐の深さには本当に感謝ですね。

    私だからこそできる治療として当初から目指したのは、メンタルサポートです。鍼灸治療による身体のケアに留まらず、心から元気になって頂ける治療、それが目標でした。そのために改めて心理カウンセリングの講座を受講し、多様な患者さんのニーズに応えられるスキルを磨きました。

    患者さんの、今を受け止め、身体のツボと共に、心のツボを掴んで、心も体も緊張をほぐし、目の前で辛そうにしている患者さんのストレスの解消に繋げたい。そんな想いで仕事に臨むようになりました。不安や痛みで暗い顔で来院された患者さんが、治療を終えて笑顔で帰って頂く姿を見る事ができると本当に良かったなあと思います。鍼灸師は天職と思えることが徐々に増えていきました。

    "50代でも新しい自分に変われる!"への挑戦

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    鍼灸師としての仕事を積み上げる中で、自分らしい治療の在り方にも少しづつ手応えを感じ始めています。治療院のメニューの「うつ、パニック症状専門コース」は私が担当することになりました。世の中では、様々なストレスを抱え、生きづらささえ感じている人の増加が社会問題化しています。

    解剖学や生理学に基づいた科学的な鍼灸治療に加え、コーチング、私自身の抑うつ経験を生かして1人でも回復できる方を増やしたいと思っています。更に、人数や場所や制限のある実世界での施術に加え、様々な可能性を広げることが可能なオンラインでの施術も展開したいと思うようになりました。

    そこで治療院とは別に「HSP未来メソッド」としてオンライン事業への取組をスタートしました。50代以上の生きづらさを抱える人へ、何歳からでも楽しい人生にシフトしていけるというプログラムを独自で考案、2023年12月、初のライブローンチと言われるビジネス手法を実施、参加者が誰もいなかったらどうしよう?なんて危惧していましたが、なんと50名を超える方が参加して下さいました。この様な取組を必要な方に届けて、少しでも多くの人が年を重ねても楽しく元気になってもらえたらいいなと思っています。

    私自身、子供の頃から抱えてきた生きづらさを手放すのに57年の年月がかかりました。どちらかというと寂しがり屋のくせに、人と距離を置き一匹狼だったこれまでの人生。そんな私でも、いろんな体験を経て、多様な人とのつながりができて、今からの未来が楽しみな私がここにいる。今後の夢は、100才になった時に、赤いビキニを着てモルディブで微笑んでいることですね。

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