社会の「不」を突破する「伴走者」であれ。―HR、起業、売却、海外挑戦、そして辿り着いた"地域に仕組みを残す"という使命―|株式会社カルビン
- 企業インタビュー
- 公開日:2026年4月28日
起業と事業売却、海外での社会課題への挑戦を経て、現在は株式会社カルビン代表として全国の地方を飛び回る東さん。なぜ今、日本の地方で「外部人材を活用する文化づくり」に取り組むのか。HRの原点から海外挑戦の挫折、そして自治体と連携する理由まで、その思考と覚悟を伺いました。
この記事の目次
【プロフィール】
東 慶親(あずま よしちか)
リクルートにて9年間、HR領域の最前線で営業および商品開発に従事。顧客の「不」に向き合う現場主義を徹底的に叩き込む。その後、ライブドア、楽天を経て2007年に起業。成功報酬型インターネット広告モデルで急成長を遂げるも、組織の持続性を見据え、自らの意思で事業売却という"攻めの決断"を下す。
売却後は連続起業家として株式会社カルビンを立ち上げる。社会課題を解決するビジネスを探し続け、行きついたのは東南アジア・フィリピンにおける給与前払いサービス(フィンテック事業)の立ち上げ。社会構造に根差した課題解決に3年半挑むもコロナ禍を経て帰国。
エリアを母国日本に絞り、これまでの経営経験と海外での挑戦を背景に、地方自治体と連携しながら中小・小規模事業者に「外部人材を活用する文化」を普及させるべく伴走支援型で全国を飛び回っている。
私に刻まれた「創造」と「"不"への違和感」
私は導かれるように、HRの世界へと入りました。リクルートという戦場で私が学んだのは、決して小手先の営業技術ではありません。「顧客の『不』に潜り込む」ということでした。
「良い人が採れない」「すぐ辞めてしまう」、その言葉の奥にある構造を疑え。既存商品を売るな。"解決できる形"を創れ。営業として来る日も来る日も現場を歩き、違和感を集め、これらを商品を通じて顧客の課題解決に繋げる。この「現場起点のクリエーション」が、私の原点になりました。
Web2.0の熱狂、そして挫折
2005年、私はインターネットの奔流に身を投じました。舞台はライブドアですが、瞬く間に歴史的事件が起きたのです。怒号、混乱、そして退場。不確実性という現実を、私は身をもって知ることになります。
その後、次なるステージの楽天グループで出会ったのが成功報酬型広告でした。「枠」ではなく「成果」を売る。ユーザーが喜び、顧客が潤い、初めて自社が利益を得る三方よしの構造です。この潔さに、この広告モデルは革新的であると、私は心の底から痺れました。
2007年に起業し、人材募集の世界に成功報酬型インターネット広告モデルを創り、会社は急成長を遂げました。日本を代表するハンバーガーチェーンや同じくコンビニエンスチェーンなどが起業直後から大手取引先となります。
しかし、リーマンショックの影響があり人材ビジネスは冷え込みました。ここをEC領域へのピボットで乗り越えました、乗り越えたどころか急成長したのです。 ところが、組織は悲鳴を上げていました。私にとって大切な従業員は「同志」です。
深夜まで消えないオフィスの灯りを見るたび、私は経営者として逃げられない問いを突きつけられました。「成長の代償を、誰に払わせているのか」。 数字は伸びていましたが、組織の持続可能性は限界に近づいていたのです。
そして私は、自らの意思で会社の売却を決断しました。社員にその決断を伝えた日、会議室には重たい沈黙が落ちました。裏切りだと感じた従業員もいたはずです。もしかしたら、安堵した者もいたかもしれません。誰よりも、その両方を理解していたのは私でした。
印鑑を押す瞬間、手が震えることはありませんでした。ですが、胸の奥で何かが静かに折れる音がしました。譲渡が完了した夜、灯りの消えたオフィスに一人立ち、私は初めて耳鳴りがするほどの"静けさ"を聞きました。あれほど追い求めた成長の先にあったのは、歓喜ではなく、責任の余韻だったのです。
それでも、目は逸らしませんでした。事業譲渡は敗北ではなく、更なる攻めへの決断です。同志を守り、事業を持続させ、次の成長曲線へ移行するための経営判断。感情ではなく、責任で選んだ決断。この経験が、「攻めとは、守る覚悟を伴うことだ」と私に深く刻み込みました。
マニラで見た「日銭がない」という現実
事業売却後、私は東南アジアへ向かいました。 フィリピン・マニラ。そこで私が見たのは、利息制限法のない社会でした。借りた瞬間から抜け出せない返済、返せなければ人生の選択肢が奪われていく。
問題は彼らの怠惰ではありません。構造なのです。その構造が、人を利息制限法の無い恐ろしい闇の世界へ誘っていました。私は給与前払いサービスを立ち上げました。今日働いた分を、今日受け取れる仕組みです。
外様の我々が、フィリピン中央銀行のレンディングライセンス認可を取得し、国内最大手メガバンクとのシステム連携まで実装しました。しかし、コロナがすべてを止めました。世界最長のロックダウンです。それでも、私の中から「自分は、どこで戦うべきか」という問いは消えませんでした。

帰国後、日本の地方で見た「閉塞」
2020年、日本に帰国。私はまずテック系ベンチャーと関わり、自らを最新テクノロジーの最前線へチューニングしました。その中で地方の経営者と向き合う機会を通じ、私は再びあの時と同じ匂いを感じました。
「人が採れない」「DXが進まない」「相談できる相手がいない」。一方で、都市部では優秀な人材が副業・フリーランスという形で余力を持っています。「人」はいるのに、接続されていない。ここに、私は日本社会の構造的な「不」を見ました。

単なる人材紹介ではなく、地方に"仕組みを残す"
カルビンは人材紹介会社ではありません。プロ人材を副業・フリーランスとして紹介する会社ではなく、経営者が自ら外部人材を活用し、その方の知見や経験・技術を使いこなせる状態をつくる会社なのです。
そして、この概念を中小規模事業者に普及させ、来る労働人口減少社会に立ち向かってもらう。そんな仕組み・文化を残していく事が使命と考えています。ここでいくつか、事例をご紹介します。
■石川県の能登地方、70歳の農業法人社長
周囲は彼の事を保守的だと言っていましたが、私は違う顔を見ていました。販路を広げたいが、その術がないだけなのです。都市部のプロ人材とのご縁は、ただのマッチングではありません。
課題を再定義し、使える時間を整理し、外部が機能する設計の整備を実装することです。結果、変わったのは売上だけでなく、「外部を使っていい」という意識の変革でした。
■熊本県に台湾の半導体メーカーTSMCが進出、その後の地元企業の混乱
熊本県に台湾の半導体メーカーTSMCが進出し、地元企業からの人材流出は止まりませんでした。その際に、200社の経営者を前に私が語った言葉は「囲い込むな、外部を使え」です。それは決して精神論ではありません。
外部人材の活用に向けて、どの「課題」を切り出すのか、「誰」を入れるか、どの「時間軸」で解決するのか。ここを適切に設計しなければ、副業・フリーランス人材は決して機能しません。
"人を入れる前に企業の構造"を整える企業の課題の整理と解決へのプロセスの設計は、あくまでも主体者である経営者が行うものです。我々は、伴走者としてサポートする事が大切だと考えています。
■高知県の印刷会社、20億規模の企業の製造ラインの混乱
高知県の印刷会社にサポートとして入ったのは、67歳の製造コンサルタントです。そこで機能したのは、能力だけではありません。社長との相性、現場への理解と距離、時間の同期、この3つが噛み合ったときに外部は"外部"ではなくなるです。
企業の課題に応じて「スキル」「タイプ」「タイム」の3つ歯車を合わせ、続ける我々の執念こそ課題解決に重要と考えています。
「なぜ自治体と組むのか?」ミドルシニア層のプロ人材への期待
これまで20を超える自治体を通じ、150を超える経営者をサポートしてきました。地方の経営者にとって、最初の一歩はとても重いものです。外部を使うことは怖いのです。
だからこそ、私たちは自治体と組みます。自治体が信用を担保し、挑戦できる環境を整え、成功事例を地域に残す。単発の支援では終わらせません。それを「文化」にする。それが、カルビンの流儀です。
これまでも、多くのミドルシニア層のプロ人材が活躍してくれています。ミドルシニア層のプロ人材がこれまで培ってきた「相手の話を聴く力(傾聴力)」、そして「現場の混乱を論理的に解きほぐす力(言い換え力)」。
それは、深刻な不安を抱える地方の経営者にとって、何物にも代えがたい救いになります。「自分なんて」と構える必要はありません。あなたの経験は、誰かの不安を確信に変えるための「宝の地図」なのです。

卒業がゴール、「伴走」とは依存を生まない関係
私の目的は、契約を続けることではありません。企業が自ら外部人材を使いこなすこと。そして、私たちを卒業していくことです。ですが、新たな壁にぶつかったとき、また思い出してもらえる存在でありたいと思っています。伴走とは、決して依存を生まない関係なのです。
HR、起業、売却、海外挑戦。すべては一つにつながっていました。現在の私は人的リソースを売っているのではありません。地域に外部人材を活用するという「仕組み」を作っているのです。地方に「外部を使いこなす文化」を根付かせること、日本の未来は、地方の経営者の熱の中にあります。私はこれからも、その隣で走り続けます。








