50代女性事務職の転職体験談 | 50代での転職は厳しいけれど、環境を変えたい気持ちが強ければ一歩踏み出せる。
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- 公開日:2019年12月12日
お一人暮らしの山上さん58歳(仮名)。営業からキャリアをスタートさせたあと、営業事務、総務事務、経理事務として様々な会社で事務職の経験を積んできたのち、58歳にして転職を成功させました。その秘訣についてお話を伺いました。
この記事の目次
アパレルの営業で社会人生活スタート。ハードな働き方に疲れるように
東京で生まれ育ち、大学へ進学。父が教師であったことから教員免許を取得しましたが、一般企業への就職を選択。とはいえ、当時はプラザ合意の影響もあり、一時的な円高不況に。女子大生の就職難が騒がれていた時期でした。
その中で「女性が長く働き続けられる」という軸で就職活動を行っていたところ、アパレルであれば働く環境が整っているのではと思い、大手アパレルメーカーへ入社を決めました。その会社にとっても大卒の女性を総合職として採用するのは初めてのことでした。
入社してからは営業へ配属され、百貨店を担当。会社的に土日は休みでしたが、百貨店を担当しているため販売の応援に行かざるをえない状況。一カ月の中で何日も休みが取れない状況、しかも帰りは遅いという日々が続いていました。
勤めて一年ほど経った頃、本社で働く事務職の女性の働き方を見ていたら「これくらいの働き方がいいな」と思い、退職を決意。モーレツな働き方から一度離れて、一年ほどゆっくり過ごすことを選びました。
働きやすい環境に出会うが、年齢とともに居づらさを感じるように
少し充電できたこともあり、仕事探しを始めることに。求人情報誌をめくっていたところ、金融系のリース会社の営業事務を募集しているのを発見。年収も良かったので応募。面接で接した社員の方からも、働きやすそうな印象を受けたので入社を決めました。
それからは営業事務として。契約書や請求書などの作成業務に従事。思っていた通りの働きやすい環境でした。しかし、働いて5年ほどが経過した29歳の頃。周りを見回すと女性社員の最年長に。「まだ結婚しないの?」という雰囲気もあり、若干の居づらさも感じるように。
ちょうどその頃は様々なことが重なった頃でした。予定していた結婚が破談になったこと。そして、父が病気になり看護が必要になったこと。早くに母を亡くしたこともあり、身の回りの面倒を見る人が必要でした。
それらの理由で退職を選択。家事手伝いとして日々を過ごすようになりました。
幅広く業務を担当できる職場を希望し、外資の会社へ転職
退職から4年ほど経った頃。父の病状も回復してきたこともあり、仕事復帰を意識するようになり、ハローワークへ行ったり求人情報誌を見るように。そんな中、リース関連の会社の営業事務の募集を発見。応募資格は30歳までとなっていましたが、当時33歳。ダメ元で応募したところ業界経験があったことが幸いし、無事採用となりました。
それから営業事務として働いて3年ほど経った頃、在籍していた投資部門が別会社となることになったため、私はその会社へ出向することに。小さな所帯のため、営業事務だけではなく総務や経理も担当するようになりました。
自分が関わる範囲が増えたことで、新たなスキルや経験が身につく。自身が成長することを感じられることや、投資という事業の面白さ、さらに職場環境も自分に合っていたため、充実を感じながら働いていました。
しかし、3年経過したタイミングで出向期間が終了。本社に戻り営業管理の仕事についたのですが、これまでのような面白みが感じられませんでした。そんな時期、就職情報誌を見ていたところ、外資の投資会社が求人募集しているのを発見。
応募してみたところ、すんなりと採用が決定。日本の事務所は10人程度と小規模であったため、幅広く業務を担当できることも決め手の一つとなり、転職することを決めました。その時、40歳になった頃でした。
50歳からの仕事探しはやはり厳しい。職業訓練校でスキルを身につけることを選択
社員に対して手厚い福利厚生があることや、年齢層が高く周りが皆年上という環境も働き心地がよく、長く働き続けたいと思える会社でした。
しかし、働いて10年ほどが経った2011年。リーマンショックや震災の影響もあり、本国アメリカから日本法人引き上げの指令が。日本の社員は全員整理解雇となったのです。その時私は50歳になっていました。
とはいえ、これまで仕事探しでそこまで苦労したことはありません。「まぁなんとかなるだろう」という気持ちで渋谷のハローワークへ。そこで見たのは、施設の外まで続く求職者の行列。その時、今回の仕事探しは厳しいものになるかも、と感じました。
そのため、パソコンを購入し自宅で求人サイトを利用。求人を探しましたが、なかなか希望の仕事は見つからない状況。これまではやりたいことをするためというポジティブな転職をしてきましたが、今回は「どこでもいいから早く決めたい」という心境が強く、正直焦りも感じました。
しかし、一旦気持ちを落ち着かせて「今の自分に足りないスキルを身に着けよう」と考えました。そうして職業訓練校へ通い、簿記の資格を取得したりパソコンのスキルを半年かけて学びました。
その後、登録していた派遣会社から不動産会社で経理を募集しているという話が。これまで使った会計ソフトの経験があることが決め手となり、紹介予定派遣で採用が決まりました。こうして、1年におよぶ仕事探しにようやく終止符が打てたのです。
転職先で受けた嫌がらせ。我慢するより早めに転職することを選択
そうして採用された不動産会社ですが、入社してみるとなかなかに訳ありな社内環境。社長は気難しく、周りはそのイエスマンばかり。そのような環境なので、仕事のできる人から見切りをつけて辞めていく。そんな会社でした。
私もイエスマンに徹すればよかったのですが、経理という立場上、会計的に不適切なことはできません。ときには、正しい会計処理を行うために会社の指示に従えないこともありました。
この年令での仕事探しの厳しさを理解していたため、半ば致し方ない気持ちを抱えながら働いていたのですが、入社して6年ほど経った頃から徐々に嫌がらせが始まるように。
「60歳まで我慢しながら続けようか」という気持ちもありましたが、次に移るなら早いほうがよいかと考え、次の仕事を探すように。そのときに見つけたのが「マイナビミドルシニア」でした。
仕事を探す際の希望は正社員ではありましたが、厳しいことは理解していたため派遣の仕事も並行して検索。これまでの経験を活かしたく事務職を中心としつつ、父の介護に触れたこともあるため介護職も検討に入れていました。
そうして、小規模の会社を中心に10社ほど応募。小規模の会社を選んだ理由はかつて在籍した投資会社によいイメージがあったことと、大きな会社は若い人が欲しいだろう、と考えたことでした。
そうして仕事探しを初めて一ヶ月ほどした頃、応募した会社より内定をいただいたため、会社に退職することを伝えました。
まとめ:今後についての家計計画を立てていたから、決断ができた
今回転職を決断できた理由の一つは、FPと相談して作成した今後の家計についてのシミュレーションがあったからかな、と思っています。
子供はいないけれど、それなりに貯金もしてきたし、家のローンもない。大病を患うなどの事態にならなければ、これから先も十分やっていけるという目算があったからこそ、この年令でも「ストレスを感じる職場」から離れるという決断が下せたかなと感じますね。
50代での仕事探しは大変なことも多いですが、環境を変えたい気持ちが強いならば、まずは次の仕事を探すところから初めることがおすすめです。内定をいただいてから、移るかどうかを考えてもよいと思います。
また、内定が獲得できるかは、「縁」や「運」の要素も強いもの。採用されなかったとしても、自分に問題があるのか、単に面接官との相性が悪かったのかの答えは結局わかりません。ならば、何社かダメだったとしても、くよくよせずに活動していくことが重要だと思います。
今は派遣社員として社団法人に在籍し、給与計算業務などを中心に行っています。自分より年配の方も多いこともあり居心地もよく、できるだけ長く働きたいなと感じていました。
そうしたところ、「よろしければ正規職員として働きませんか」との嬉しい打診をいただきました。派遣会社にも了承いただいたため、来年からは正規職員として働くことができそうです。正社員は難しいと思い派遣での働き方を選びましたが、こんなこともあるのですね。
これからもこの職場で、腰を落ち着けて長く働いていきたいです。
※年齢は2019年12月取材当時のものです