60代女性の転職体験談 | 経験を整理したうえでアピールするのが、シニア転職の成功の道。経験は自分を必ず助けてくれる。
- 自分の相場を知る
- 公開日:2019年10月 7日
お一人で暮らす小池さん(仮名)62歳。高校を卒業後、劇団へ入団。その後、フリーアナウンサーとして活躍した後、プロ司会者として活動してきた小池さんでも、歳を重ねての仕事探しは大変なものでした。希望の仕事に就くために、実践されている方法などについてお話を伺いました。
この記事の目次
上京し劇団へ入団。その後、アナウンサーを目指すことに
九州で生まれ育った私。中学で演劇部に入ったことで演劇の面白さに目覚めました。高校卒業前に受けた有名劇団のオーディション。定員10名に対し1200人が応募という狭き門ながら、なんと合格。卒業と同時に上京が決まり、舞台に立つことになりました。
とはいえ新人劇団員、お給料は寸志のような額。しかし、座長がポケットマネーで習い事に通わせてくれ、ダンスや舞踊など様々な芸を身に着けました。劇団員はみんな若く、お金はありませんでしたが、希望に燃え、明るい未来を胸に描いていました。
入団した劇団はもともと5年ほどの活動予定だったため、1年半ほど経った頃に解散。当時20歳。東京へ出てきたときに心に決めたのは「23歳までがんばって、だめなら地元に帰ろう」ということ。
そのとき、これから何をするか、自分が何をしたいのか、自分の強みは何なのか。真剣に自分と向き合いました。
そうして出した答えは「話すこと」こそ自分の武器だということ。ならば、アナウンサーを目指そう。どうせなら、一流のところに挑戦してみようと考えました。
当時の大手アナウンサー事務所は3つ。事務所の名前は知っていたので、若者の勢いで電話帳をめくり、電話をかけました。すると、たまたま重役がその電話を取ったのです。
電話口でアナウンサーになりたいという思いを伝えました。しかし、正式なオーディションは先週終わったとのこと。ですが、思いの丈を伝え続けたところ、オーディションをしてくれることになりました。
電話を切ってすぐに事務所へ向かい、30分後には事務所に到着。その場でオーディションをしてもらった結果、本番に強い性格が幸いし、事務所に採用となったのです。
様々な番組を18年近く担当した後、40歳で次なるキャリアを選択する
事務所に入ってからは天気予報やCM、商品紹介番組などのオーディションを受け、様々な仕事を担当しました。中でもTVショッピングなどの番組では高い評価を受け、多くのお仕事をいただくことができました。
とある仕事で接した大物のプロデューサーに、自分を採用してくれた理由を聞いたとき「控室で準備する姿を見て、ひたむきな人間性が見えたから」というお言葉をいただきました。
そのときに理解したのは、プロである以上最良のアウトプットを出すのは当たり前。そのうえで周囲に協力してもらえるコミュニケーションを取り、裏方も含めてみんなでよい仕事、よい作品を作り上げていく。仲間意識を共有できる人こそ求められているのだ、ということに気づきました。
そのような意識を持ちながら長くフリーアナウンサーとして活動を続けていきました。
しかし、やはり芸能界。業界の慣習として、年齢が高くなれば需要が無くなり、仕事は減っていくもの。事務所に残っても仕事がなくなることは目に見えていました。
ならば「今の仕事から卒業を図り、新たなキャリアを積んでいこう」と考えたのが、40歳のときでした。
土日はプロ司会者。平日は手話講師としてパラレルキャリアを歩むことに。
新たなキャリアとして選んだ先は、ブライダルをメインとするプロ司会者でした。当時は司会者の多くが男性でしたが、フランクなトークを求める新郎新婦が増えてきたこともあり、活躍の場は広がりました。
披露宴会場の多くはホテル。式は土日祝日に集中するため、1日で多いときには3つの式場を掛け持ちすることも。披露宴のスタッフとの打ち合わせなどをしながら、忙しい日々を過ごしていましたが、平日は式がないので自分の時間を確保することができました。
そんなある日、かつて担当した手話番組のことを思い出しました。仕事に対し評価を頂いていたのですが、他の仕事との兼ね合いが合わなく続けることができなかったことが、心残りになっていたのです。
「今なら時間もある。手話をしっかり学んでみよう」そんな気持ちが芽生え、難関の手話通訳者試験を取るべく手話講習会に通い始めたのです。それから平日は講習会へ、土日祝には司会業という生活に。45歳で通い始め、資格が取得できたのは50歳のときでした。
資格を取得できてから、とある自治体の防災対策委員会で手話講師を勤めるようになりました。そこで求められる水準は高いものの、報酬はボランティアのようなもの。お金が目的であれば、とても続けられない状況でした。
自分のモチベーションを支えていたのは、社会に貢献したいという気持ちでした。若い頃から何かの役に立ちたいという思いはありましたが、世の中に対してどういう価値を提供できるのかはわかりませんでした。
だけど、今の自分には手話という武器がある。聴覚障害者の方々の役に立てる。
その思いが証明されたのは、東日本大震災のときでした。災害に対して当惑している方々の力になれた。そのことに対して、話を生業とするプロとして、そして一人の人間として貢献できる喜びを感じることができました。
ライフワークとしての手話と、生活のための仕事のダブルワーク
55歳になったとき、ブライダルの司会者から卒業。理由は新郎新婦のご両親よりも年上となるケースが増えてきたため。後進に場を譲り、新たな仕事を探すことにしました。
仕事探しにおける軸は「これまでのキャリアを活かせる」仕事に就くこと。イベントの司会者などの仕事があればと考えていましたが、なかなかそのような求人はありません。待遇面での希望はありましたが、キャリアを活かせて待遇の良い仕事は見つかりませんでした。
それならば、と派遣会社へ登録。複数社に登録を行い、仕事の紹介を受けました。紹介されたのは「試験監督」「テレフォンオペレーター」「アナウンス業務」など。話すことを中心とする様々な仕事を経験しました。
他に紹介されたのが「ブライダルフェア」でのギフトコーディネーター。これはアナウンサーとしての話術、商品紹介で培ったわかりやすい説明、そしてブライダル業界での経験のすべてが活かせる仕事でした。全国でもトップクラスの売上実績を上げたことから、他の会社からも声がかかり、複数社と契約を結んでいました。とはいえ、実績を上げても報酬は時給ベース。少しのやるせなさを感じました。
これらの仕事を生活の糧とし、並行して手話の活動も続けていたところ、かつての縁から官公庁の仕事をいただくことに。それはとある業界で働く従業員に対して、聴覚障害者への接し方について講習を行うこと。ありがたいことに受講者たちから好評を博し、全国を回って講演をすることになりました。
ですが、手話だけで食べていくのは難しいもの。60歳を超えてからは、平日に受ける派遣の仕事も安定しない。「新たな仕事を探さなければ」と考えているときに出会ったのが、求人サイトのマイナビミドルシニアでした。
これまでの経験すべてが活きる、自分の価値を認めてくれる仕事に出会えた
サイトで仕事を検索し、マンションコンシェルジュなどの仕事に応募しましたが、音沙汰ないこともしばしば。とはいえ、定期的にどんな仕事があるのか探していました。
そんな中見つけたのが、ホテルのフロントを募集するパート求人。簡単に企業へアプローチできる「ノック機能」を使って自己PRを送ってみたところ、10分もしないうちに返信が。すぐに正式応募をしたところ、面接の運びとなりました。
面接へ行く前に原稿をじっくりと読み込んでいたら、ホテルの親会社がかつて自分の参加したイベントを主催した会社であることに気づきました。面接の際にそのことを伝えたところ、なんと採用担当者が親会社から出向してきた方。しかもそのイベントに関わっていたこともわかりました。
加えて、手話の活動を行っており、全国で講演なども行っていることも伝えたら、「ホテルには様々なお客様が訪れるため、従業員に対し接し方なども教えてもらいたい」との話になり、面接が終わった1時間ほど後、内定のご連絡をいただきました。
経験は無駄ではなく、自分を助けてくれることを実感しました。これまでの自分が認められた気持ちになり、嬉しかったですね。
わかりやすく伝えれば、経験の強みは必ず伝わる
若い頃はバブルの時代。正直、アナウンサーをやっていた頃は、仕事もお金にも困った記憶がありません。ですが、時代は変わるものですし、年は重ねるもの。いい思いばかりはできないものですね。
55歳を過ぎてからの仕事探しにおいては、面接などで昔の栄光は極力出さないようにしました。「昔は有名番組で天気キャスターをやっていました」なんて話を聞いても、採用にプラスどころか煙たがられることもしばしばです。
ですが、身につけたスキル、そして経験はいくつになっても輝くものだと思っています。
求人があれば、その仕事で自分の経験はどういう形で活かせるだろうかを考え、整理したうえでわかりやすくアピールする。私の場合、特殊な経歴かもしれませんが、主婦の方でも、サラリーマンの方でも考え方は同じなのでは、と思いますね。
まとめ
年を取れば採用される職種や業種は限られてくる。その市場感はネットで求人情報に日々触れていれば、おおよそ理解できます。
その市場を理解したうえで仕事を探し、採用されたらそこで働く人たちから認められるための努力を行う。認められれば、いつまでも働くことができる場を生むことができるはず。その考えでここまでやってきました。
新たな仕事の研修がこれから始まります。平日のみの勤務のため、手話の活動と並行させることもできます。これまでの経験を活かしながら、皆で協力しながら働けるようプロとしての自負を胸に持ち、毎日を過ごしていこうと思います。
※年齢は2019年9月取材当時のものです