50代女性 デザイナーの転職体験談 | 早期退職をきっかけとして、デザイナーを卒業。ダブルワークという働き方を選択。
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- 公開日:2019年5月24日
ご主人と二人のお子様と暮らす東山さん(仮名)55歳。美大を卒業しメーカーのデザイナーとしてリーダーのポジションまで上った彼女。50歳のときに社内で募集された早期退職に手を上げました。早期退職を受け入れた心境と、その後の働き方についてお話を伺いました。
この記事の目次
美大を卒業してから、メーカーへ。デザイナーとしてのキャリアを歩む
幼いころから絵を書くのが好きだった私。地元九州から東京の美大に進学しました。そうして、プロダクトデザインを学んだ後、とあるメーカーへデザイナーとして入社したのです。
当時はバブル前の好景気の時期ということもあり、同期入社も多く、デザイナーだけで8名ほどいました。
入社後はデザイン部署へ配属。営業や技術部門と組んで、市場分析から製品を創り上げていくプロセスは面白く、仕事に夢中になる日々を過ごしました。
そんな日々を過ごす中、結婚。そして第一子を授かりました。そのことを会社に伝えたところ、事務仕事の部門へ異動させてくれました。当時は女性社員が多くはありませんでしたが、働きやすさへの配慮はそれなりにありましたね。
その後、第二子を出産した後、デザイン部門へ本格復帰。スイスの展示会へ参加したり、雑誌でデザイン賞を受賞したり、リーダーへ昇格したり。順調なキャリアを歩んでいた、と言ってよいかもしれません。
だけど、50歳のとき。早期退職の募集が行われたのを知ったとき、「このタイミングかな」と感じたんです。手を上げることにしました。
早期退職の募集を機に、しがみつくより、次へ進むことを選択。
会社で早期退職の募集が行われたのは三回目のことでした。最初の募集では40歳以上、二回目は35歳以上、そして今回は30歳以上を対象とした募集でした。
募集の理由は、やはり人件費の抑制。そして世代の入れ替わりを図ることも目的でした。いわば、定期的に開催される社内のイベントのようなものです。
応募しようと思った理由の一つは、子供の教育費がかかるタイミングだったためです。
子供が二人とも美大を目指していたこともあり、予備校の費用や入学金・授業料もかなりのもの。早期退職に応募することで得られる退職金の上乗せは、定年まで在籍するよりずっと高い水準だったのは魅力的でした。
もう一つの理由は、社内の風通しの悪さと言えばいいでしょうか。
前に二度行われた早期退職の募集。「年配のパフォーマンスの低い社員に早期退職してほしい」という会社の意図はみんな理解していました。だけど、早期退職を募集しても、それらの社員は手を挙げません。
代わりに市場価値が高い中堅社員が、これを機に社外に出る。そうやってどこにも行き場のない社員が残っていく会社を見て、やるせない気持ちを抱えている社員も多く存在しました。
当時、会社の定年は63歳。定年後は再雇用として非正規雇用に切り替わる制度でした。
「この会社に在籍していれば、雇用は安定する。でも、この環境で長く働きたい?」と考えたところ、自分の答えはNOでした。だったら、元気なうちにすっぱりやめてしまったほうが、次のキャリアを踏み出しやすいかも。そう考えて、決断したのです。
充電期間を経た後、パートでの勤務を開始。
早期退職を選んだ社員には再就職支援のサービスが提供されましたが、魅力的な求人はなし。そもそも辞めてからはフルタイムではなく、パートや派遣社員でゆっくりと働こうと考えていたので、積極的な活用はしませんでした。
そうこうして、いよいよ退職。退職してからの1年間は、失業給付を受給しながら、ヨガに通ったり、英会話を習ったりしながら過ごしました。自由な時間を持てることの喜びを、本当に久しぶりに感じることのできた期間でした。
その後は、職業訓練校やスクールに通いWebの勉強をしながら、仕事探し。その中で見つけたウェディング用のアイテムを扱う会社で、印刷用の版下を作成するオペレーターの仕事に就きました。退職してから2年経っての仕事復帰でした。
版下の仕事はフルタイム勤務で2年間働きましたが、徐々に「デザイン以外の仕事をしてみたい」という気持ちが大きくなるように。ならばいっそ、ということで、求人サイトで見つけたパン屋の仕事に応募。朝から13時まで働くアルバイトとして採用となりました。
ところが、入社してからブラック体質の会社ということが発覚。常態的なサービス残業、社内での言動にパワハラ要素が散見されることもあり、ここは長く続けられないな、と感じました。
ならば、他の仕事も検討しようと、マイナビミドルシニアをチェック。そこで見つけたのが、コールセンタースタッフの仕事でした。シフトに融通が効くことから、ダブルワークで働いてみようと思い応募。採用となりました。
はじめは化粧品やサプリメントの案内を行う業務に、その後はお客様からの電話を受ける業務に就きました。コールセンターでお客様とコミュニケーションを取る仕事は、意外にも自分の性に合いました。
ならばこちらを軸として、パン屋以外の仕事を探そうかな、と考えるようになったのです。
一つの仕事に向き合うのではなく、ダブルワークという働き方を選ぶように
そうして、半年ほど前からパン屋の仕事を辞め、保育士の派遣を行う会社へ入社。派遣の登録会や面談のサポートや事務仕事を行っています。もちろん、コールセンターの仕事は続けており、ダブルワークの働き方です。
これらの仕事に就いて気づいたことは、適度に人とコミュニケーションを取る仕事は自分に向いているということ。デザイナーの頃は一日中パソコンに向き合っていることが多かったですが、今の仕事のほうが楽しめているように思えます。
あと、一つの仕事にずっと向き合うよりも、様々なことをしているほうが精神衛生上いいな、とも感じています。一人で責任を抱え根を詰めるよりも、その時々で気持ちも切り替えられる働き方が合っているのかもしれません。
早期退職を選んだとき、「せっかく女性でリーダーになったのにもったいない」という声も社内から上がりました。確かに、安定した収入に加え、定時でも帰れる環境。生涯収入という面から見ても、「もったいない」と言われることは理解できます。
でも、私は辞めてよかった。
私は、仕事が好きだから、仕事をずっとしていたい。
デザインの仕事に対し、真剣に取り組んだ。そしてやりきったという感覚を味わうこともできました。だから次のことをしてみたい。新しいことをし続けていたい。その思いを行動に移しただけのことです。
収入は減りましたが、自由に使える時間は増えました。
まとめ
今の仕事はどちらも自分に合っていると感じていますが、特に面白いのは保育士派遣の仕事。子供のため、そして働く親をサポートする保育士の仕事は興味深いものです。今後、自身も保育士免許の資格を取得し、保育士となって働くことも検討しています。
そうして、いつも新鮮な気持ちを抱きながら、これからも長く仕事をし続けていたい。そう考えています。
※年齢は2019年5月取材当時のものです