大企業から転身し、ビジネスの最前線へ。マイスター60で見つけた「人と人をつなぐ」第二の人生|人生100年時代のライフシフト
- 100年時代のライフデザイン
- 公開日:2026年6月24日
人生100年時代。長年勤め上げた企業を離れ、新たなステージへ踏み出すミドルシニア世代が増えています。しかし、そこには肩書きを失う葛藤や、未知の領域へ飛び込む恐怖が必ず存在します。 今回は、大手電機通信メーカーA社のシステム営業として第一線で活躍し、グループ会社の執行役員まで務め上げた後、63歳で未経験の人材ビジネス業界「マイスター60」へ飛び込んだ江口さんにお話を伺いました。華やかなIT業界から一転、シニア層の就業支援という全く新しいフィールドで見つけた「真のやりがい」とは。ご自身の波乱万丈な歩みと共に語っていただきました。
この記事の目次
PROFILE
江口さん
1960年、宮崎県生まれ。長崎大学経済学部を卒業後、1983年に大手電機通信メーカーA社に入社。名古屋や東京を拠点に、長年にわたり製造業・流通業向けの法人システム営業に従事。バブル崩壊などの激動の時代を乗り越え、統括部長やグループ会社の執行役員を歴任。
60歳での定年とコロナ禍でのリモートワークを機にセカンドキャリアを見つめ直し、国家資格であるキャリアコンサルタントを取得。63歳でシニア人材の派遣・紹介に特化した株式会社マイスター60へ入社し、現在は人財開発部にて求職者と企業をつなぐマッチング業務に奔走している。
輝いたヨット部生活と就活の誤算
長崎大学時代は、「大学からでも始められる経験者の少ないマイナーなスポーツに挑戦したい」という想いからヨット部に入部しました。大村湾での厳しい合宿生活にどっぷりと浸かり、仲間と共に同じ目標に向かって潮まみれになって努力する日々でした。
その甲斐あって、大学3年の時にはスナイプ級(2人乗り)で国体に出場し、なんと全国優勝を果たすことができたのです。しかし、この輝かしい栄光が、その後の就職活動で大きな「誤算」を生むことになります。
「全国優勝したのだから、どこの採用試験でも受かるだろう」と大きな勘違いをしていたのです。当時、文系の人気就職先ランキング1位は東京海上でしたが、私は理系1位だったソニーに憧れ、ソニー一択で大学4年の8月まで一切就職活動をしていませんでした。
満を持して受けた面接の結果は、あっさり不採用。何の連絡も来ないことでようやく「これはおかしい、真面目にやらないとマズい」と焦り始めました。慌てて就職情報誌の分厚い本をめくり、何十枚もハガキを書いて銀行なども受けましたがしっくりこず、原点に立ち返って電気メーカーを数社受験。
最終的にご縁があった大手電機通信メーカーA社に入社することになりました。私の社会人生活は、そんな挫折と勘違いからスタートしたのです。
大手電機通信メーカーA社で学んだ営業の神髄"組織を超えて人と人が結びつく仕事"
大手電機通信メーカーA社に入社後、最初の配属先は縁もゆかりもない名古屋でした。当時はまだ中小企業にコンピューターが普及しておらず、来る日も来る日も飛び込み営業。10ヶ月間、全く注文が取れない苦しい日々が続きました。銀行からのご紹介で初めて布団卸売業のお客様から受注をいただけた時の喜びは、今でも鮮明に覚えています。
営業人生の中で最も心に残っているのは、20代後半の頃に先輩から引き継いだ金属加工卸売業のお客様のプロジェクトです。システム開発の要件定義がうまく進んでおらず、本稼働が大幅遅延しているという、大トラブルの渦中での引継いだ案件でした。
お客様は当然ピリピリしており、私にとってはネガティブな印象しかない引き継ぎでした。しかし、ここで「絶対に逃げない」と腹を括り、改めてSEと共にお客様とゼロから業務ヒアリングをやり直し最後まで誠意を持ってやり遂げました。
異常事態とも言える2年越しのプロジェクトが無事に稼働し、安堵の中でお客様とベロベロになるまでお酒を飲んだあの夜は忘れられません。その後、その担当課長さんとは20年以上の長いお付き合いとなりました。
モデルユーザーとして他のお客様をご紹介いただいたり、講演を受けいただいたりと、かけがえのない関係を築くことができたのです。「営業とは、会社と会社の付き合いを超えて、人と人とが結びつく仕事である」。その真髄を、過酷な現場トラブルから学ばせていただきました。
▲前職時代、お世話になったお客様とヨットの前で
メンバーと向き合った幹部社員時代
37歳で幹部社員になり東京へ転勤した頃、世の中はバブル崩壊後の逆風が吹き荒れていました。何千人ものリストラが新聞を賑わす中、大型IT投資は冷え込みました。それでも数字の未達は許されない厳しい社風の中で、私はひたすら提案の件数を増やし、小さなソフトウェア開発や保守案件を積み上げて何とか乗り切っていきました。
幹部社員として数十人の部下を持つようになり、私が最も心を砕いたのは「部下を一人にしない」ということです。過酷な環境下で、皆が様々な悩みを抱えていました。顔色を見れば調子が分かりますから、意識的に声をかけ、時には飲みに行き、伴走しているという安心感を持たせるよう心がけました。
ある時、入社1年目を終えたばかりの若手が「辞めたい」と言い出しました。友人の誘いなどを口実にしていましたが、直感で「2年目からの新しい仕事への恐怖から逃げようとしている」と気づきました。彼を見捨ててはいけないと強く思い、周りに人がいるオフィスの中で4〜5時間、彼と真正面から語り合いました。
「俺たちがちゃんとフォローするから、やってみろ」と説得し続けた結果、彼は踏みとどまり、今では立派な部長として活躍しています。今でも「あの時、辞めなくてよかっただろう」と笑い合えるのは、何よりの誇りです。
定年を前に自分と向き合い学びへの挑戦とマイスター60との奇跡の出会い
60歳を迎えた時、すべてが激変しました。定年で一平社員となり、給与は半分以下に。さらに折悪くコロナ禍による完全テレワークとなり、朝から晩まで埋まっていたスケジュール帳が真っ白になりました。会社という居場所がなくなり、誰からもアクセスされない日々。強烈な虚無感に襲われました。
そんな中で、学生時代のヨット部の繋がりから、オリンピック開催の6年前から始めていた江の島でのヨット競技のサポートのボランティア活動が縁でTOKYO2020オリンピックのセーリングの競技役員として、オリンピックに参加できたことが唯一の心の支えだったのかも知れません。
ある本で、定年後の不安要素は「3つのK(健康・お金・孤独)」と知りました。特に、社会との関わりがなくなる孤独への恐怖が胸に刺さりました。「このままではダメだ。健康寿命を延ばすためにも、少なくとも80歳までは働き続けよう」、そう決心したのです。
しかし、IT営業の経験しかない私には、企業名や役職失った後に80歳まで自信を持って価値を発揮し続けるスキルはありません。新たな学びが必要だと考えました。そこで、同僚から話を聞いたことがあった"キャリアコンサルタント"の国家資格取得を目指し、62歳で学校に通い始めました。
無事に資格を取得し、コロナ明けが見えつつある中で就職活動を始めましたが、現実は甘くありませんでした。年齢と実務未経験の壁に阻まれ、書類選考すら全く通らない日々が続いたのです。
悶々としていたある日、ミドルシニア向けの就職セミナーに足を運びました。そこで偶然出会ったのが「マイスター60」のブースでした。当初は「未経験の募集はない」と断られましたが、後日面接に呼ばれました。
長年の苦労を経て資格を取り、人の悩みに寄り添い導く仕事がしたいという私の熱意と、シニアの活躍を支援する同社の理念が奇跡的に合致し、全くの異業種である人材ビジネスの世界へ飛び込むことになったのです。
▲2020TOKYOオリンピックセーリング競技役員に
実務経験「ゼロ」からの、人材ビジネスへの挑戦
意気揚々と入社したものの、人事や採用の実務経験が皆無だった私にとって、日々の業務は苦労の連続でした。法律の知識もゼロからのスタートですし、最も苦労したのが、人材ビジネスにとって何より重要な求職者の方への対応です。
中には、明確なビジョンを持たずに来られる方もいらっしゃいます。多様な価値観を持つ方々から本音を引き出し、最適な仕事へ導くことの難しさを、今でも痛感しています。一方で、思いがけない「過去の遺産」が私を助けてくれました。
長年、A社の法人営業としてあらゆる業界の企業情報を調べ、様々な組織構造を見てきた経験です。求人票を見ただけで「この業界の、この規模の会社なら、こういう現場環境で、こういう上司がいるだろう」という現場の空気感が分かるのです。
これは、人事畑のみを歩んできた方にはない、40年間の営業経験があったからこそ培われた、私だけの武器となっていたかもしれません。
▲キャリアコンサルタントとしてシニアをサポート
シニアの就活の肝は「未来に向かって目標を持つ元気さ」
この仕事で一番のやりがいを感じるのは、やはりマッチングが成功した瞬間です。 私が最初に人材派遣サービスで就業を支援したのは、大手施設管理会社での設備管理のお仕事に挑む60代の方でした。勤務地が遠いというハードルがありましたが、背中を押して無事就業が決まりました。
それから1年後、機会があってフォローのメールを送ってみたところ、「色々苦労はありますが、元気に頑張っています」と短いながらも力強い返信がありました。自分がつないだご縁が、その方の新しい「居場所」になっている。営業時代の数億円の受注とは全く違う、心にじんわりと染み渡るような深い喜びでした。
シニアの就職において一番の鍵となるのは、「未来に向かって目標を持つ元気さ」です。長年培ってきた技術や経験に誇りを持っている方は、言葉数が少なくても必ずオーラとして伝わります。
私はキャリアコンサルタントとして、自己アピールが苦手なシニアの方々の棚卸しを手伝い、内に秘めた自信と意欲を引き出すことで、社会で再び輝けるよう真摯に向き合い続けています。
▲念願のエジプト旅行
人生100年の未来を描く
80歳まで働くという目標に向けて、私のセカンドキャリアはまだ始まったばかりです。現在の人材ビジネスを通じて、シニア人材の持てる力を十二分に引き出していきたいと考えています。
同時に、シニアの受け入れに消極的な企業側に対しても、「週5日フルタイムではなく、週2日や3日の組み合わせで優秀な人材を活用できる」といった多様な働き方の提案を行い、社会の常識に風穴を開けていきたいと考えています。
そしてもう一つ、密かな夢があります。横断歩道で黄色い旗を持ち、「おはよう!今日も元気に頑張ってね!」と子どもたちに声をかける地域のボランティアのような存在です。キャリアコンサルタントの仕事と並行して、地域に根差し、誰かの役に立っていると実感しながら80歳を迎えられたら最高ですね。
プライベートでは、私と共にキャリアコンサルタントの資格を取り、私の挑戦を一番近くで応援してくれている妻との時間を大切にしています。今年の正月はエジプトとギリシャへ行き、次はスペインを計画中です。
人生100年時代、これからも妻と二人三脚で楽しみながら、仕事でも地域でも「人と人とのつながり」を紡ぐ人生を元気に歩んでいきたいと思います。








