【Well-Passインタビュー】"何とかなる!"キャリアを通して、体得した言葉

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【Well-Passインタビュー】

現在、レシピストとしてご活躍なさる桜井昌代さん(64)に、ご自身のキャリアを通した様々なお話を伺いながら、人生100年時代の働き方や人生の在り方までを赤裸々に語っていただきました。溌剌と笑顔で語る桜井さんからは、自らの経験が少しでも役に立ったらと、これからキャリアを重ねていく女性たちへの温かい励ましを強く感じました。

この記事の目次

    オイルショックを迎えた時期に、就職活動が始まる

    三重県に生まれ育ち、幼いころから活発でした。学生時代は演劇部に所属し、人と話すことが好きで、学ぶことにも常に積極的な好奇心旺盛な性格でしたね。

    そんな私の新卒採用が始まる時期になんと、日本はオイルショックを迎えてしまったんです。
    大学を卒業したのに全然就職が決まらない...。30社以上に応募するも、ことごとく断られる始末。就職に関して希望やわがままを言うことなんてできませんでした。

    ところが、実際に採用されたのは、日本航空のCA(キャビンアテンダント)職だったんです。
    かつてはまだスチュワーデスと言われる時代でした。倍率も凄まじく、「まさか私が?」と、人生何が起こるかわからないとつくづく思いました。

    よく、就職や結婚はご縁といいますけど、本当にそう。
    だって私自身、CAになれるとは思ってもいなかったし、飛行機にも乗ったことがなかったんですから。当時の面接官との相性やタイミングもあったと思いますが、本当に運よく就職できました。そんな感じで私のキャリア人生はスタートを切ったんです。

    アメリカでの衝撃的な出会い!人生を変える出来事はいつも突然に

    CAは本当に楽しかった。人と接することが好きな私にとって、やはり向いていたんだと思います。

    人生に転機が訪れたのは26歳。プロダクションに所属し、コピーライターをしていた方と結婚をしました。クリエイティブな仕事ということもあって、収入も安定しないときもあったため、私もそのままCAを続けました。
    結婚したら辞めようと思っていたのに、結局CAという仕事が好きだったんだと思います。

    そして30歳のころ、フライトでアメリカの西海岸を訪れたときのことです。サンフランシスコのヴィ―ガンの店"グリーンズ"で衝撃を受けました。「こんな健康的で、おいしい食事があったんだ!」と。

    普段から食べることが大好きな私でしたが、その店の食事はとてもおいしく、何よりも体のことを考えられたメニューに感動を覚えました。忘れることのできない味ってああいうことを言うんだと思いますね。他にも、シイタケの料理を見つけて「日本の食材がこんなところで使われているんだ」と興味をそそられながら、そこでの食事に舌鼓を打ちました。

    このときの体験がまさかこれからの私の人生を変えることになろうとは思ってはいませんでしたが、これもCAをしていなければなかった出会いですから、人生のご縁とは本当に不思議なものを感じます。

    そんなときに妊娠が発覚。とっても嬉しかったです。そろそろ年齢的にもCAは辞めなくてはと考えていた矢先でした。
    ところが、「俺が辞める」と夫が言い出し...実際に辞めてしまいました。そこで、経済的にも私が職場復帰した方がいいなと判断したんです。
    31歳で出産。その半年後にはもう職場復帰し、当時はまだ珍しいママさんスチュワーデスでした。

    そして、夫はイクメンになりました。当時そんな言葉もありませんでしたが、本当に子育て熱心で、よいパパでした。離乳食の作り方や、おしめの換え方も完璧で、母性が溢れたような人だったんです。元々、物を書く人だったので子どもの連絡帳に書いた文章が秀逸で面白い!と保育士さんたちの中で話題になり人気者でしたね。

    一方、現場に戻ってからの私はといえば、職場の風当たりも厳しいと感じる瞬間も多く、激やせしてしまったこともありましたが、周りの理解も得ながら仕事を続けていきました。

    家族でイギリスに留学!先のことより思いっきり今を生きる

    子どもが7歳になったとき、夫も育児に疲れてきていた頃で「俺も好きなことがしたい」と言ったんです。私も、娘の初歩きもブラジルの長期フライトで見ることができませんでしたし、「この子の成長をもっと身近で見ていたい」と思っていました。何より、35歳を迎えていましたので、若い子がどんどん入社する中、CAとして年齢の壁を感じていたときでした。CAでやることはやりきった、そんな気持ちです。

    夫に相談したところ、彼は史学科で学んでいたこともあり、将来はヨーロッパの歴史に携わる歴史家になりたいと夢を語ってくれました。自分たちの思うように生きてみようと、住宅の購入資金の貯蓄を使い、家族でイギリスへ留学することを決めました。将来の保証なんて何もない中決断できたのは、やはり夫の存在が大きかったと思います。

    夫は英語さえ満足に話せなかったのに、中年から勉強を始め、ぐんぐん実力をつけていきました。
    また、目指すイギリスの大学院に入学をしたいとインターネットもない時代、直筆で担当教授に手紙を送っていたんです。

    その手紙を読んだとき、言葉ってすごいなと感動したことを今でも覚えています。誤字もあり、文法もめちゃくちゃな夫の手紙には熱い想いが溢れていて、「ああ、私たち本当にイギリスに行けるかもしれない!」と、このとき私も本気で留学準備を進めました。

    実際、その手紙を送ってからすぐに現地の大学院への入学を知らせる返事がきたんです。手紙を読んで感動したことが綴られていました。その手紙がきっかけとなり、本格的にイギリス行きは進んでいきました。
    そして、夫は先にロンドンの語学学校へと通うことになり、その半年後に私と娘もロンドンへと発ったのです。

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    ロンドンでの日々は、発見と感動の連続だった

    着いてからの1か月は退職の疲れや生活にも慣れるため、特に何もせずにゆっくりと過ごしました。これも今考えると大切な時間でしたね。

    そして、娘を学校に入れると私は、料理を学ぶためのスクールに通うことにしました。
    イギリスの伝統料理が学べる学校で、パイの焼き方などを一から習い、ロンドン商工会議所認定のクックスサーティフィケイトという資格を取得できました。

    さらにその後、王室御用達と言われている料理教室にも通いました。コースを修了し、ちょうど夫もマスターの資格が取れたタイミングだったので、日本に帰国となりました。イギリスで過ごしたのは1年半でしたが、とても濃密な日々でした。

    しかし、帰国後の私たち家族は無職です。
    イギリスの大学院を出た称号で、夫が講師の職に就けるだろうと思っていましたが、そう簡単ではありませんでした。

    今後の生活はどうなるんだろうと、不安が膨らむばかり...。幸いにも、当時は円高でしたので貯金が僅かに残っていましたから、積極的に仕事を探すことはしませんでした。私、根っからの楽観主義なんです。悩んでいても笑顔で過ごしても同じ一日ですからね。

    そんな矢先、夫がとあるパーティーで、イギリス行きの航空券を当てたんです。本当にイギリスに縁がある家族かもしれません。私はこの機会を利用してマンチェスターにあるベジタリアンの専門学校に通い、ベジタリアンに関する資格を取得しました。

    CAしか知らない私は、以降は飲食関連の経験を積むことを目指し、フリーターとなって興味のあるアルバイトをすることにしました。マクロビのレストランなど自分の食指が動くままに仕事を選んでいきました。約3年間は、そんなこんなで時間に縛られる正社員ではなく、自分の思ったように時間が使えるアルバイターとして経験を積みました。

    第2のキャリアがスタート!マネージャーとして人材育成に励む日々

    食の道に進みたいとは思っていましたが、娘が中学生になり、生活の心配が出てきました。そこで、まずは生活基盤を整えるために、本格的に就職活動を開始したのです。外資系のスポーツクラブなど、CAで身に着けた英語力や経験を活かせる職種に30社ほど応募しました。

    しかし、当時40歳。不安だらけの就職活動でした。
    そんなとき、たまたま見つけた求人広告に大手飲料メーカーのサービスマネージャーという職種があったんです。ちょうど、新規部門を立ち上げるとのことで正社員枠の募集でした。年齢も42歳まで。

    無事に採用となったのですが、後に採用枠は一人で、かなりの倍率だったと聞きました。
    CAで培った接客力だけではなく、複数のアルバイトで鍛えた仲間とのコミュニケーション能力をアピールしたのが勝因ではないかと思っています。

    こうして、飲料メーカーの工場見学のガイドさんの教育や、グッズなどの企画をする会社に再就職を果たしました。出張所に正社員は私一人、モチベーションの維持が課題でしたが、スタッフに恵まれて15年はあっという間でした。

    57歳、あと3年で定年退職となるため、嘱託として働くかどうかを考えました。けれど、自分が定年後も会社で働くイメージが湧かなかったんです。そんな時、夫が遅咲きながらも書き続けてきたことが認められ、大手の出版社から著作を出す好機をいただいたんです。そのタイミングも重なり、「今度こそ、好きなことを極めよう!」と定年退職を決意しました。長年働かせてもらった会社に感謝をしつつ、とても清々しい気持ちで退職しました。

    あの地で、感動の再会を果たす!いくつになってもスタートは切れる

    退職してすぐ、私は10日間をかけてサンフランシスコとロサンゼルス、ポートランドにあるレストランを巡りました。あの"グリーンズ"もまだしっかりとお店を構えており、マネージャーに30年前にも来たことがあると伝えると抱き合って喜んでくれました。

    このとき、「こういう料理の世界で生きていけたらな」という気持ちがさらに強くなったことを覚えています。それに、私も夫も挑戦的な人生を送っていましたので、健康を害してしまっては本末転倒になるという危機感も、食への関心に繋がっていたのだと思いますね。

    帰国後、ある八百屋でアルバイトを始めたいと考えました。その八百屋はいわゆるベンチャー系八百屋で、若い社長がやり手経営者としてテレビにも取り上げられるような、都内で何店舗も経営している店でした。「ここ、おもしろそう!」と面接の段取りをしました。

    しかし、当時の私は61歳です。年齢的に大丈夫かなと思ったんです。
    そこでインスタグラムを開設し、野菜料理をたくさん載せて、それを見せながら面接に臨みました。人事の方に、いかに自分が野菜好きかをアピールしたんです!採用後、「桜井さんの面接での野菜愛溢れるプレゼンはすごかった」と言われるほどでした。向こうは年齢的に落とすつもりはなかったみたいですけど、受ける側からしたら年齢ってネックに感じますよね。

    私はいきなり大きな一歩を踏み出すのではなく、道を見つけるためにまずは飛び込んでみるのが大事なんじゃないかと思っていました。なので、小さな一歩として踏み出せる、アルバイトから始めるようにしたんです。

    そこで働きながら、野菜の基本知識を学び、お弁当を作る部門でも総菜などを手掛け、1年半ほど働かせていただきました。慣れてきた頃に、好きだった日本茶カフェのアルバイトも始めるようになりました。しばらくはダブルワークで働いていたんですよ。

    そして、八百屋でのバイトで出会った元数学教師の女性と三軒茶屋で野菜サンドのお店を開くことになりました。彼女は数字に強く、私は接客とこれまでの料理を学んできた知識がありましたので、互いの長けている点を活かしての出店でした。

    すると、開店して1か月後に彼女がとある企業からヘッドハンティングされたんです。彼女は迷っていましたが、私は「行きなさいよ!後は私がやるから」と背中を押しました。
    そして、思い切ってさらに自分の理想のお店にしようと「ヴィ―ガンサンドイッチ」を主力においたお店として再スタートしたんです。

    開店後、八百屋のバイト仲間たちもかけつけてくれて、周りの方が沢山応援してくださいました。定年後も嘱託として飲料メーカーの仕事を続けていたら、紡げなかったご縁なので行動してよかったなと感じましたね。今でもその仲間たちとは連絡を取り合っています。

    店の経営も軌道に乗り始め、近所に外国人留学生の学校などもあったことから、店はそれなりに繁盛していたんです。ところが、そこへきて憎きコロナの襲来です。学校もリモートになってしまったことで、売上が減るのは目に見えていましたので、その月に閉めようと決断しました。

    早めの勇気ある撤退を決意したおかげで借金を背負うこともなく、店を畳めたのはよかったと思っています。今でもネット上には店の情報が残っているので、飲食業界にツメアトは残したと自負しています。
    人生って時にとてもシンプルかもしれません。自分が動けば、風が起こる。そんな気がしています。

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    無駄なことは一つもない。自分の心次第で、道は拓かれる

    これまでの経験を踏まえ、コロナなど外的要因に左右されないような独立した働き方が必要だと感じました。そこで、レシピなどの情報発信ができるライターを目指そうと決意し、「野菜」にフォーカスしたブログやインスタに力を入れることに。

    ただ、ライターはやったことがなかったので、まずは客観的に文章力を示すことができたらと考え、地元三重県の文学賞のエッセイ部門に応募したところ、次点をいただくことができました。さらに審査員を務めていらっしゃった、作家の伊藤たかみさんから「桜井さんの文章は、上品で読みやすい」との講評をいただき、書くことへの自信に繋がりました。

    そこからはヴィ―ガンやベジタリアンをコンセプトにした料理サイトなどを調べ、自分の思いと共通するサイトを見つけると、ライターとして雇ってはもらえないかと営業をかけました。そんなやりとりを続け、無事にVegewelの正式なライターとなりました。何の実績もないのに採用してくれたのは、やはり63歳の熱意が伝わったのかと思います。


    これを気にレシピストという肩書でも活動を始めました。今では、料理関係のクライアントを2社抱えるライターになることができました。日本茶のカフェのバイトを週2、3日のシフトで入らせていただき、ライターと兼業しながら働いています。

    今後は、身体が動かなくなってきたらカフェの仕事をセーブしつつ、ライターとしての比重を増やそうと計画しています。でも、人と会って話をするのが好きなので、できる限りはカフェの接客を続けていきたいですね。
    カフェの定年はとうに過ぎているのですが、インバウンドのお客様も多いこともあってスマホに英会話のアプリを入れて英語の研鑽に励んでいます。

    こうして考えると、すべてのキャリアって繋がってるなぁって思いますね。
    CAとしてアメリカ西海岸のお店で食事をした経験、イギリス留学で料理を学んだこと、そして野菜サンドの店を開いたこと、そんな野菜が今度は私を書き手へと昇華させてくれています。

    64年間の人生を振り返ってみても、無駄なことなんて一つもないんですよね。
    イギリス留学の経験が、夫にとっては書物を書くことに繋がりましたし、娘にとっては大学に入学するきっかけとなりました。あのとき、不安になってイギリス留学をせずに日本にいたら......全く別の人生なってしまっていたと思います。

    ついつい私たちって「こうなってしまったらどうしよう......」とか「私なんかができるはずがない」って自分で自分に蓋をして、殻に閉じこもってしまいがちですよね。
    こういったキャリア形成をしてきた私でも挫折だらけなんです。こんなこといったら怒られるかもしれないですけど、CAだってオイルショックにたまたま差し込んだ一筋の光でした。逆を言えば、応募した30社ほどの会社にはお断りされているんです。

    でも、踏み出してみないと何も始まらないと思います。できない理由を探すよりできる可能性を見つけてみる、思っただけではなくて一歩踏み出してみる、これが私は大切なんじゃないかと思っています。

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    これから挑戦していきたいこと。人生、何とかなるからやってみて!

    現在、日本茶カフェで働いている私ですが、日本茶アンバサダー協会にも所属しています。
    好きなもので繋がっていく輪は私の人生の中ですごく大切だと感じています。大人になってから友達はできづらいっていいますけど、自分さえ行動できれば何歳になっても友人はできると思います。

    そして、私にはまだまだこれからの目標があります。
    これまで私が生きている中で、女性のキャリアについての情報が少ないと感じてきたので、女性のキャリアについて発信していきたいんです。

    私と同世代やミドルシニアの方にも何歳でも始められるよって。私たち、そんなに年齢や生活や経済にばかり気を取られていないで、人生を楽しまなきゃ損だって。背中を押すなんて言ったらおこがましいけど、「こんな先輩もいるんですよ」って伝えていければ嬉しいです。

    きっと好きなこと、やっていきたいこと、そういう想いって相手にも伝わるし、思っていたら不思議と導かれていく気がしています。
    それに、バッターボックスに立ってみないと、ヒットは打てないですからね。「面白そう!」と自分の気持ちに素直に、これからも私は「とにかくやってみる!走ってみてから考える!何とかなる!」を掲げて人生を楽しんでいきたいと思っています。

    今後はYoutubeに果敢に挑戦しようと考えています。もしかしたら5年後は、大人気ユーチューバーなっているかもしれませんよ(笑)。

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