【Well-Passインタビュー】多彩な経験が人間力を培うヒント

  • 100年時代のライフデザイン

今回は、ビルの賃貸借管理事務員として働かれているIさん(59)にお話を伺ってきました。豊富な人生経験を持つHさんに、人間力とは経験を重ねていく中で培われていくものだと学ばせていただきました。

電話交換手として社会人になる

私のキャリアのスタートは高校を卒業した後のことでした。卒業を目前に控え家庭の事情で、かねてから希望していた専門学校に進学できなくなってしまい、卒業後の進路が決まっていないまま卒業式を迎え就職浪人となってしまいました。そんな時に目に留まったのが、就職雑誌に掲載されていた電話交換手の養成学校。

私たちくらいの世代の方なら懐かしんでくださるかもしれません。当時は、会社にかかってきた電話を受け、担当者に電話をつなぐ電話交換手という職種がありました。その養成学校は費用もあまりかからずに短期間で卒業ができ、さらに就職率100%という謳い文句に惹かれて私は進学することを決めました。

そこで養成講座を受けたのち、某有名な不動産会社を紹介していただきました。試験を受け、一人しか設けられていなかった正社員の枠で運よく採用されました。数か月遅れましたが晴れて社会人として第一歩を踏みだせて、すごく嬉しかったのを覚えています。しかし、入社後に「いずれは電話交換手という仕事がなくなる」という話を耳にするようになり、この先ずっとこの仕事を続けていくことはできないのではないか、と感じるように。2年半ほどでこの会社を退職しました。

そんな思いを胸にいざ転職活動を始めた私でしたが、異職種にいく勇気もなく、結局二度目の就職先も電話交換手に落ち着きました。そこで数年勤めるうちに、電話交換手の需要はますます低くなり、やはりこの職業は需要がなくなってしまう、ということがはっきりと予想できるまでになったのです。そこで、一般事務への転身を真剣に考え始めました。

事務職としてやっていくには何よりもパソコンスキルが大事だと思いました。当時の私はワープロを少し触るくらいでパソコンスキルが全然なかったんです。それなのに、知人の紹介でIT企業に採用してもらい、ユーザーサポートとして働くことになりました。そこでパソコンの使い方を一から覚えたのです。

そして、27歳になったときに結婚。それを機に、IT企業を寿退社しました。当時は女性が家庭に入るというのが定説であったのと主人の希望もあり、憧れていた専業主婦生活を手に入れました。やっと手に入れた専業主婦の座でしたが、私にとっては味気なく想像以上につまらないものだと次第に感じるようになりました。

専業主婦になるもノイローゼ気味に。夫に内緒で採用面接へ

いざ専業主婦なってみると2か月くらいで、家とスーパーの往復だけの生活にノイローゼ気味に。「旦那さんが突然亡くなってしまったら私はどうなるんだろう、どうすればいいの」とか、マイナス思考になっていき夜も眠れない毎日が続くようになりました。

夫は私が仕事をすることに大反対でしたが、「このままではダメだ!もっと能動的に社会と関わり働いていきたい」と思い、一念発起し内緒で面接を受けに行ったのです。せっかくなら近所ではなく定期券を持てる場所で働きたいと探し、都内のビル管理会社にまた運よく正社員として採用されました。

夫には「面接受かったの。来月から働きに行くからね」と有無と言わせないように半ば強引にねじ伏せました。こうなると強行突破です。夫の意見を聞き、言う通りにしていたら働きに出られなくなることを懸念しての大胆な行動でした。

いざ仕事が始まると一族経営のその会社には、事務員はなんと私一人。最初は不安でしたが、結局その会社に20年余り勤務しました。受付からテナントの管理や契約書作成、駐車場の売り上げ管理等、仕事は多岐にわたり一切の窓口業務を私がやっていたんです。幅の広い業務内容でしたが一つずつ仕事を覚えていきました。

親の介護と2回の結婚が人生のターニングポイント

実は、20年余り勤めたビル管理会社での会社員時代には、離婚と2度目の結婚を経験しました。働くことを良しと思っていなかった前の夫との関係は、私が働き出したことで歪みがうまれていたのです。しかし、家にいるだけの人生が続くのは私としては耐えられず...。今風に言えば、価値観のずれが最大の要因です。

収入面での不安はありましたが、それでも私は離婚という道を選択し私らしい生き方を貫きました。30歳の時です。それまでは夫の稼ぎがメインでしたから離婚してからの生活は経済的に決して楽ではありませんでした。離婚後、築何十年の古いアパートに越しましたし、女一人で生きていく大変さを身に染みて感じました。

そこで昼は会社員をしながら、夜は別に一見さんお断りの飲食店でアルバイトをして生活を凌ぎました。慣れない接客業ですべてが初めてのことばかり、戸惑うことも多々ありました。けれど、この接客業を通じて、仕事上の人間関係のヒントも得られるようになったのです。

いわゆる一流といわれている街で働くためには、それなりに常に自分も磨いていないといけないと切に感じ、"人間力"と"演じる"ことを学びました。そんな経験が、今に至るまで仕事でも活きています。素直に人に向き合い、謙虚に「わかりませんので、教えてください」と言うことができるようになり、そうしたことが人間関係を円滑にしてくれました。

そうしてキャリアを重ねていく中で、今の夫とのご縁をいただき、二度目の結婚を機にアルバイトも卒業。その後、親の介護のために20年余り勤めあげた会社を退職することになりました。20数年もいると、周りの方も慣れ親しんでくださっていたので惜しまれての退職でした。

それまでは正社員として働いてきた私でしたが、親の介護に差支えのないような働き方ができることを第一に、職探しを開始。パートタイマーや派遣として、あらゆるジャンルの事務やコールセンターを転々としながら短期的な周期で働くことを選びました。介護が落ち着いた現在では、再び正社員としてフルタイム勤務で仕事に復帰することができています。

人生に失敗も成功もない。あるのはやるか、やらないかという選択肢

今はたとえ旦那さんが大手の企業にいても、いつ何が起こるかわからない時代です。そういう面でも、妻や母親という立場である女性も仕事をしていないといけない世の中になってきました。それに、女性も社会で活躍する場が必要であると、自分が専業主婦になりノイローゼ気味になった経験からも感じています。

今の夫は私が働くことに対して肯定的なので、幸い再婚してからもこうして仕事を続けることができています。結婚も仕事も何でもそうだと思いますが、自分の思ったようなライフスタイルを築くことができるのは、周囲の協力や理解が不可欠なんだと改めて感じます。

そして、社会人生活を重ねていく上で、発想の転換が大切だと学びました。どうしても生きていれば嫌なことや、気に食わないことって出てきますよね。勤務先などの人間関係でしたら、なおさら気を遣いますし。「あんな奴の顔、どうして毎日見ないといけないの!」「いつも上か目線的な言い方で、本当にムカつく!」と思うことなんて今でもしょっちゅう。

でも、そんなときは心でスイッチを切り替えるようにして「なんて嫌な人なんだ!」ではなく、「私が協力してあげないと何もできない可哀そうな人なんだな。」と自分の心に余裕を持たせることで、怒りやその方への不満が軽減され接することができます。もし今、人間関係において悩んでおられる方がいれば、ぜひ実践してみてください。

「Iさんって、嫌いな人いないでしょ」とよく言われますが、私も人間なのでそんなことはありません。ただ、自分をコントロールし、円満に社会生活をやっていくのが大人のたしなみだと思いますので、私はそれを実践しているだけなんです。これは、人生を歩んでいく上で身に付けた術です。人間関係が悪いことで自分に有益になることはありませんから。

それに、社会に出るって違う自分を演じられることでもあると考えています。正直に自分らしく生きることももちろん大切ですが、そうやって生きられない場合には、自分なりに違う自分を演じて楽しんで生きることができるんじゃないかって。もしこれを読んでくださる方で、現在生きることに窮屈さを感じていたり、本当の自分がわからないという方は、なりたい理想の自分を演じてみるのはどうでしょうか。

はじめは意識して窮屈でも演じているうちに次第に身に付き、気が付いたらいつの間にか理想の自分に近づいていて、今までにはない新しい自分が発見できたり、対人での距離感をうまく掴むことができるようになったりと、TPOにあわせて「自分」を演じてみることで、生き方上手になる、一つのヒントではないかと私は思っています。

今後も能動的に人生を切り開いていきたい

今のビル管理会社に正社員として就職したのが去年の夏です。慣れてないことも多いので、バタバタしながら働いています。ただ、この歳になっても働ける環境があることにはとても感謝しています。

そんな中、今でもコールセンターの副業を続けています。コールセンターの普段は無口な上司から以前「Iさんがいるとホッとする」と言われたことがあります。その一言で心がじんわりと温かくなりました。仕事で誰かに頼りにしてもらい、自分がその場にいるだけで職場のプラスの存在になれていることが本当に嬉しくて。人に感謝されつつ健康で働けることは本当にありがたいです。

一度限りの人生、思うように生きてみて欲しいと、私の経験からもお伝えしたいなと思います。私はやってきたことの延長線上で仕事を選ぶことが多かったのですが、接客業のアルバイトや様々な仕事を経験する中で、やってみてダメなことはないんだと悟りました。

私たちの世代になると、今から踏み出すキャリアの一歩が最後の転職になったり、人生をかけてのライフワークになったりすることが多いと思います。だから、少しでも興味や関心があることなら挑戦してみればいいと思います。それが今後の悔いのない人生に繋がっていくのではないかと感じます。そして、趣味や好きなことをする時間によって、心を素直に開放し自分自身を大切にしてほしいです。

私はお花が好きなので、50歳を過ぎてからブリザーブドフラワーのアレンジメントの講座を受講して、一応講師になれる資格を取得しました。将来、お花に関する仕事をやれたらいいなという思いもあります。学びを活かして自分の好きなことに没頭できる時間を少しでもつくることで、自分を慈しむことや労わることにもつながると感じています。

私たち女性は、子どもや夫など誰かのために生きることって多いと思うんです。でも、「私」の人生の舵取りをしているのは自分だと再認識したら、いろんな可能性が見えてくるのではないでしょうか。今はインターネットが身近にあり、広がりのある便利な世の中になりました。少しのきっかけから仕事にしたり、ライフワークにしたり、そうやって好きなことをして稼いだお金って、大金ではないにしろすごく嬉しいものだと思うんですよね。

私の人生を通しての軸って"人に喜んでもらう"ってことだったんだと最近になって改めて感じます。履歴書に記入できる資格や特技など特にない私ですが、誰にでもできる「笑顔であいさつ」をモットーに、他人も自分も笑顔になれる生き方を今も自己満足でも積極的に貫いていきたいと考えています。同世代の方々、まだまだこれから!一緒に頑張りましょう!

記事をシェアする

あなたへのオススメ記事

「セカンドキャリア発見フェア」をきっかけに就職!求職者の気持ちが分かる採用担当者に|株式会社マイスター60

今回は、株式会社マイスター60で人財開発部長を務めていらっしゃる、江口和哉(えぐち かずや)さんにお越しいただきました。江口さんは2023年6月開催「セカンドキャリア発見フェア」への参加をきっかけに、出展企業であった株式会社マイスター60へ入社されました。本日は、江口さんにセカンドキャリアや、働くことについてお伺いします。

  • 100年時代のライフデザイン
  • 2024年9月11日

"命"と向き合うことで価値観が変化。生涯のシゴトと出会いました|人生100年時代のライフシフト

株式会社セノンで警備隊員から警備隊長を経験、そして現在は全社の社員教育を担う小林 英仁さん。前職エンジニアとしての激務から、40代で未経験の警備業への転職を決めた経緯をうかがいました。

  • 100年時代のライフデザイン
  • 2024年8月15日

人生100年時代を生き抜く、セカンドキャリアの見つけ方!

人生100年時代となった今、健やかにいきいきと過ごすためにはセカンドキャリアの選択が重要となります。本日は、そんなセカンドキャリアの見つけ方にフォーカスしていきます。

  • 100年時代のライフデザイン
  • 2024年7月10日

あなたにあった働き方を選ぶ