介護現場のDX化の推進をミドルシニアと共に~介護の現場から日本の未来を創る!~ |一般社団法人介護事業者生産性向上協会
- 企業インタビュー
- 公開日:2025年11月18日
介護業界の未来を現場から切り拓くことを目指し、鈴木勝博理事が歩んできた多彩なキャリアと、介護の最前線で得た気づきをご紹介します。政治家・経営者としての経験を活かし、ICT化や人材育成、介護離職防止、外国人材との共生など、業界全体の課題に挑む一般社団法人設立の背景と今後の展望について語っていただきました。
【プロフィール】
一般社団法人介護事業者生産性向上協会 鈴木勝博理事
中央大学法学部卒。1983年株式会社リクルート入社。「とらばーゆ」「じゃらん」「ケイコとマナブ」など、情報誌ビジネスに15年間携わる。1998年株式会社ディジットを起業。ナスダック上場でベンチャー起業の草分けとなる。
社会人教育、人材ビジネスを経て、2009年に東京都議会議員選挙でトップ当選。東京都の最重要課題である2025年問題に取り組む。足立区認知症サポーター協会を立ち上げ、地域での認知症対策に尽力。
2025年には 一般社団法人介護事業者生産性向上協会の設立メンバーとして理事に就任し、介護業界全体の生産性の向上を通じて「介護の現場から日本の未来をつくる」の実現に向けてチャレンジを続ける。
"超高齢化社会"への危機感と介護事業との出会い
私の介護ビジネスのキャリアの原点は、50歳で政治家になったことにあります。それまではリクルートをはじめ、様々なビジネスの経験を積んできました。しかし、もう少し公的な視点で社会的課題にチャレンジしたいという思いが芽生え、社会全体を設計する仕事に就きたいと、東京都議会議員選挙に挑戦したのです。
当時の東京はオリンピックの招致や築地市場の移転問題、石原都政の大型案件など激動の時代でした。その中で議員として様々な仕事に携わりましたが、私の胸に常にあったのは、東京が直面する最大の課題「超高齢化社会」への危機感です。2025年、団塊の世代が75歳を超える。この大きなうねりにどう立ち向かうか。足元からこの問題を解決せずして、東京の未来はない。そう直感していました。
しかし、議員として政策を考える中で、大きな壁にぶつかります。それは「介護の現場の事実を知らない」という現実でした。現場の状況を理解せずに描く設計図は、必ずどこかで歪みが生じてしまいます。介護業界が本当に抱える課題は何なのか、頭で考えているだけでは何も見えてこなかったのです。
そんな時、私の支援者の一人が「うちで施設長をやってみないか」と、手を差し伸べてくれました。それは、足立区花畑に新規で立ち上げる、小規模多機能事業所でした。デイサービス、訪問介護、ショートステイ、集合住宅が一体となった、まさに介護の複合施設です。地包括の全てが詰まっているこの場所なら現場のリアルを体感できると考え、私は政治家としてのキャリアを一旦置き、介護の最前線に飛び込むことを決意しました。
命の現場で見た、壮絶な現実
施設長としての1年間は、私の思い描く介護の現場とは違うものでした。小規模多機能事業所は、様々な事情で他の施設から断られてしまった方々が集まる「最後の砦」のような場所でもあります。認知症が進行し暴れてしまう方、ご家族が途方に暮れてしまった方・・。介護の最も厳しく、そして最も人間らしい現実がそこにはありました。
忘れられないエピソードがあります。60代でアルツハイマー型認知症を患った男性のAさん。まだ若く、体は元気そのもの。しかし、ご自身の状況は全く分からなくなっていました。ある日、ショートステイでお預かりしていたAさんが、施設からいなくなってしまったのです。行方不明者として警察に届け、スタッフ総出で探し回りました。
施設長としての責任の重さに、心臓が張り裂けそうでした。Aさんが見つかったのは、足立区の施設から遠く離れた草加市。一晩中歩き、民家のチャイムを鳴らし続けていたところを、住民の方からの通報で保護されたのです。ご家族からは「大切な家族を預けたのに、なんてことしてくれるんだ」と厳しいお叱りを受けました。
どれだけ気をつけていても、予測不能な事態が起こる。それが介護の現場でした。また、80代のBさんは病院から退院してこられたその足で、車椅子に乗って入居されました。しかし、すでにぐったりとしていて顔色も悪い。すぐに提携病院で診てもらったところそのまま入院となり、一週間後に静かに息を引き取られました。
認知症の方が、どのように最期を迎えていくのか。人が老い、命を終えるという現実が介護の現場であるということを実感しました。机上で語られる「高齢化社会」という言葉の裏にある、一人ひとりの壮絶な人生と、それを支える人々の苦悩。それこそが、介護の現場であるということです。
"専門職の集団"を前にした気づきと課題
1年間の現場経験を経て、私は縁あって「わかばケアセンター」という訪問介護事業のCOO(最高執行責任者)として、本格的に経営に携わることになりました。そこは、ヘルパー400名、ケアマネジャー70名、利用者4000名を抱える、足立区最大の在宅介護事業者です。そして、この企業は私がリクルート時代に経験したビジネス組織とは全く異なる論理で動いていました。
介護の現場は、「専門職の集団組織」です。ケアマネジャー、ヘルパー、サービス提供責任者などそれぞれが自分の仕事への高いプライドと各々が独自の価値観を持ち、日々利用者と真剣に向き合っています。彼らは介護のプロであり、一人ひとりが自分のやり方で仕事と向き合う姿勢が強く、全体を一つの組織としてまとめていくことは至難の業でした。
加えて、介護業界は「生産性が低い」「儲からない」「休みがない」と言われ続ける過酷な労働環境にあります。それでもスタッフが踏ん張っているのは、仕事に対する高いモチベーションがあるからです。このような組織は、ビジネスの世界ではまず見られません。現場を無視して、トップダウンで改革を進めようとしても、到底うまくいくはずがない。現場で得たこの気づきが、私の改革の出発点となりました。
10年かけた組織変革。年収350万から600万への道
経営責任者に就任した私の使命は、この専門職集団を健全に成長し続ける「企業体」へと変革することでした。それには「組織を創ること」、そして「人財を創ること」が不可欠です。最初に取り組んだのが、「事業所長制度」の導入です。各事業所にリーダーを立て、マネジメントを担ってもらう。
しかし、ただ責任を押し付けるだけでは誰もついてきません。そこで私は「今まで年収350万円だった君たちを、全員600万円にする。その代わり、所長としての経営責任も担ってもらう」と宣言しました。所長の主な仕事は3つあります。「人財の育成」、「事業所の売上を増やすこと」、そして最後に「介護事業者としての倫理規定を徹底的に守ること」です。
最初は各事業ごとにそれぞれ8人ほどの所長を立てましたが、残念ながら数人は「私にはできません」と会社を去っていきました。数字に対する責任の重圧に耐えられなかったのです。しかし、残ったメンバーや新たに手を挙げてくれた若手は、しっかりとその責任を果たし大きく成長してくれました。
私は、彼らにリクルート時代に培った経営ノウハウを徹底的に浸透させることに注力しました。月次の売上戦略表、P/L(損益計算書)やKPI設定。介護の現場では誰も見たことのないような数字と向き合わせ、自分たちの仕事の価値を客観的に捉える訓練を重ねました。
3年ほどかかりましたが、今では当社の所長たちは、何も言わなくても自分たちで目標を設定し、人を集め、利益を上げる方法を考え抜く、戦略的なリーダーへと育っています。他産業のマネジャーと比較しても、これほど所長がしっかりしている組織はないと自負しています。この変革は、複数の大きな成果を生み出しました。
成果の一つ目は、生産性向上で利益改善ができたことです。例えば、ケアマネジャー一人当たりの担当件数は、業界平均を2〜3割上回る45件を目安にしています。これは、後述するICT化の推進と、リーダーたちの巧みなマネジメントの賜物です。
二つ目は、働き方改革の実現です。スマートフォンとタブレットを全社員に配布し、徹底的なペーパーレス化を断行しました。これにより、情報はリアルタイムで共有され、ミスは激減。事業所に山積みだった書類の段ボール箱はなくなり、職場環境は美しくなりました。
何より大きかったのは、在宅勤務が可能になったことです。子どもの急な発熱で迎えに行かなければならない時も、家で仕事が続けられます。7割を占める女性スタッフにとって、仕事と家庭を両立できる環境は、スタッフの離職の低下につながりました。残業時間を減らすという次元ではなく、ライフワークバランスそのものを変革できたのです。
そして三つ目は、新たなキャリアパスの構築です。所長からエリアマネージャー、そして部長へと続くキャリア制度を導入したことで、10年後の自分を想像できるようになりました。同時に、専門性を極めたい人のためには、会社負担で大学院に入学して専門性を高めてもらうキャリアアップも制度化しました。
専門職は経験を積んでも給料が上がりにくいという業界の悪習を断ち切り、ジェネラリストとスペシャリスト、両方のキャリアを追求できる組織へと進化したのです。
業界全体の課題解決へ。一民間企業の限界
わかばケアセンターでの10年間は、介護現場が抱える課題に対する一つの「答え」を導き出すプロセスでした。現場で試行錯誤を重ねてきた成果は、紛れもなく大きな実績です。しかし、この実績を社会全体に還元しようとした時、私は再び壁にぶつかりました。「民間企業の限界」です。
象徴的なのがICT化です。社内は完全にデジタル化され、効率的な業務が実現できています。しかし、一歩外に出て行政(足立区)や他の介護事業者とやり取りをすると、全てが紙とFAXの世界に逆戻りしてしまうのです。
このもどかしさ、壁を突破するには、自治体や国、そして地域の同業者を巻き込んだ、大きなうねりを作り出すしかありません。それは、一企業の責任者の立場では到底不可能なことでした。
新たな挑戦。「社団法人」設立と4つの柱
社会課題の解決という原点に立ち返り、より公的な立場でこの問題に取り組むため、私は2025年4月1日、「一般社団法人」を立ち上げました。この社団法人の設立目的は、4つの大きなテーマに取り組むことです。
第一の柱は、「業界のICT化・DX化の徹底推進」です。特に、国が推進しているにも関わらず、全国で導入率が1割にも満たない「ケアプランデータ連携システム」の普及に、自治体と連携しながら全力で取り組みます。
第二の柱は、「次世代リーダーの育成」です。私がわかばで培ってきたマネジメント研修のノウハウを業界全体に提供し、組織を変革できる人材を育てていきたいと考えています。
第三の柱は、「介護離職の防止」です。これは介護業界内の話に限りません。働き盛りの40代50代が、親の介護を理由に会社を辞めざるを得ない「介護離職」は、日本経済の大きな損失です。企業内に産業医がいるように、介護の相談ができる「産業ケアマネジャー」制度を創設し、企業と連携して従業員を支える仕組みを作りたいと考えています。
そして第四の柱が、「外国人材の育成と共生」です。これからの介護現場は、外国人材なくしては成り立ちません。彼らを介護人材として育成していくためには一人ひとりを評価し、キャリアを築ける教育・認定制度を整備することが急務です。言葉の壁も、ICTやAIの力を借りれば乗り越えられるはずです。人と人が尊重し合える、真の共存共栄を目指します。
介護現場のDX推進の鍵を握る、ミドル・シニア層への期待
社団法人がまず最優先で取り組んでいくICT化の推進は、決して平坦な道ではありません。現場には「今まで通りで問題ない」「新しいことは面倒だ」「メリットが分からない」といった、根強い抵抗感があります。特に、小規模で高齢のスタッフが多い介護事業所では、その壁はより一層高くなります。
だからこそ、私たちは各事業所に足を運び、丁寧に寄り添いながら導入を支援する「伴走支援」が不可欠だと考えています。この伴走支援の担い手として、私はミドル・シニア層のチカラに大きな期待を寄せています。介護やITの仕事を通じて私と同じ問題意識をお持ちの方は大歓迎です。
一方で、業界は全くの未経験の方でも「自分の時間や力を、社会のために少しでも使いたい」「自分のキャリアを、次世代・地域に還元したい」「これからの高齢社会に、自分も関わっていきたい」そんな想いをお持ちの方なら十分に活躍できる仕事と考えています。
大切なのは、これまでの社会生活で培われた高いコミュニケーション能力と、相手の懐に入り、課題を整理し、解決へと導く力です。なぜ導入したくないのか、現場の本音を引き出し、未来のメリットを共に描いていく。そうした対人対応能力こそが、現場の心を動かす鍵となります。社会課題の解決に同じ志を持ち、ホスピタリティ高く向き合ってくれる方々と、ぜひ一緒にこの変革を成し遂げたいのです。
私自身も今、93歳の母を介護しています。現場で見たあの日々が、今まさに自分の生活の中で生きているのです。母の手を取りながら、「この経験を社会に返していこう」と強く感じています。政治家として、経営者として、そして一人の子として。すべての経験が今、一本の道につながりました。
介護の現場から日本の未来をつくる──それが、私にの課されたこれからの使命であると考えています。