燃え尽きて見つけた私の使命。若者たちを社会へ送り出す「人薬(ひとぐすり)」の力|八おき塾(一般社団法人福岡わかもの就労支援プロジェクト)
- 企業インタビュー
- 公開日:2026年7月16日
【概要】
八おき塾(一般社団法人福岡わかもの就労支援プロジェクト)
八おき塾(やおきじゅく)は、2015年に福岡で設立された社会復帰の場です。代表の鳥巣 正治氏をはじめ7名のコーチが在籍し、現在約10名前後の塾生を受け入れています。設立から11年、延べ100名弱の若者たちと向き合い、74名の卒業生を社会へ送り出してきました。
対象は不登校・引きこもり状態にある若者とその家族。コーチングを核に、就労支援・生活自立支援・就職活動サポート(履歴書・職務経歴書指導・面接練習)を一体的に提供し、「働き続けられる状態」を目指して伴走し続けています。
【代表プロフィール】
鳥巣 正治(とす まさはる)さん 67歳
1959年1月、福岡県糸島市生まれ。長崎大学工学部を卒業後、1983年に福岡本社のソフトウェア開発会社へ入社。製造ライン設計パッケージの開発に従事し、2001年頃に東京転勤。開発チームのリーダーとして活躍する傍ら、採用業務も兼務し10年弱で500名超の面接を経験。
2005年頃よりコーチングを組織的に導入。息子の不登校という深刻な試練を経て、2014年12月に退社。翌2015年4月、「八おき塾」を設立・代表就任。NHKや東洋経済オンラインなど多数のメディアに取り上げられ、現在も第一線で若者と向き合い続けている。
「敷かれたレールはない、バイクで風を切った青春」謳歌した学生時代
私は1959年の1月、福岡県の糸島で生まれました。幼い頃に父を亡くし、母の手一つで育てられた母子家庭でした。高校進学の際には「県立しか行けないよ」と言われ、必死に勉強して地元の高校に入学しました。しかし、そこからの私は決して「優等生」ではありませんでした。
高校時代はバイクにのめり込み、暴走族のような仲間たちと遊び回る日々。大学進学の際も、同級生たちが次々と進路を決める中、私はどうしていいか分からず、結果的に1年間の浪人を経て長崎大学の工学部に進学しました。
大学生活もまた、型破りなものでした。親元を離れた解放感もあり、九州中をバイクで走り回り、夜な夜な仲間たちと飲み明かす日々。時には48時間ぶっ通しで麻雀をしたこともありました。
しかし、この「遊び尽くした」「人生を大いに楽しんだ」という経験こそが、後になって私にとってかけがえのない財産となるのです。今の引きこもりの若者たちは、こうした「熱中する喜び」や「人と深く交わる楽しさ」を知らないまま、大人になってしまっているケースが非常に多いのです。
未来を見据えたIT企業の選択「背中を押してくれた母の一言」
大学には結局5年間在籍し、その間に学生時代から付き合っていた彼女と結婚し、子供まで授かりました。就職先が決まった大学5年の秋、私はついに母へ「結婚する」と報告しました。留年した上に学生結婚という無茶苦茶な報告です。
当然、激怒されるかと思いきや、母はこう言ったのです。「あんたは自分の好きなように生きてきたんやけん。ここでダメって言ったって、どうせ言うこと聞かんやろ」母は私の性格を誰よりも理解し、一番の応援団でいてくれました。この母の言葉と深い愛情は、私の人生の大きな支柱となりました。
就職活動では、これからの時代は必ずコンピューターが来ると直感し、地元の福岡に本社を置くソフトウェア開発会社を選びました。当時、大手の製造メーカーがもてはやされる中、あえて自社開発を行うソフトウェア会社を選んだのは、さまざまな経験から「先を見通す目」が養われていたからかもしれません。
こうして私は、妻子を連れて「子連れ入社」という異例の形で社会人生活をスタートさせました。
24時間走り続ける中であった「コーチング」と「採用業務」
入社後は、日本の製造業の心臓部となる生産ラインのパッケージソフト開発などに携わりました。仕事は激務を極め、出張も多く、気づけば2週間出張して2〜3日だけ家に帰るような生活。家庭との距離ができ、結果的に一度目の結婚生活は数年で終わりを迎えることになってしまいました。
40歳を過ぎた頃、私は東京へ転勤となります。そこでは開発部門の責任者として多忙な日々を送る傍ら、採用面接の業務も引き受けるようになりました。10年間で面接した学生は500人以上。履歴書の書き方や面接の極意、どうすれば若者の本音を引き出せるかを現場で徹底的に学びました。
同時に、社内では大きな問題に直面していました。せっかく採用した優秀な若手エンジニアたちが、激務や人間関係に疲れ果て、心を病んで次々と辞めたいと言ってくるのです。「この状況をなんとかしなければ」。
そう考えた私は、メンタル不調に陥ったメンバーや、少し組織から浮いてしまったメンバーを自分の直轄チームに集めました。そこで徹底的に実践したのが「コーチング」です。部下を説教するのではなく、彼らの苦しい思いや本音を吐き出させ、耳を傾ける。
また、段ボールで「ペーパーバイシクル(紙の自転車)」をチームで作ってみたり、社員旅行で「We Are The World」を皆でサングラスをかけて大合唱したりと、仕事の中に「遊び」と「楽しみ」を意識的に取り入れました。するとどうでしょう。若者たちが劇的に元気を取り戻していきました。
大きな転機「息子の不登校」という分厚い壁
仕事で確かな手応えを感じていた2000年代半ば、私のプライベートに思いもよらない試練が訪れます。中学生になった息子が、いじめをきっかけに不登校になってしまったのです。私は自分自身でカウンセリングに通い、環境を変えればと狛江へ引っ越し、転校もさせました。
息子も通信制の高校などで何とか頑張ろうとしましたが、事態は一進一退。ついには、高校を卒業したものの進路が決まらず、家に引きこもる日々が続きました。そんな膠着状態を打破してくれたのは、福岡にいる私の「姉」でした。
私が5年間、親として必死に悩み、もがいても解決しなかった息子の心を、姉はたった2時間の対話で開いてみせたのです。親からの言葉は「うるさい」と拒絶されても、第三者からの「あなたのことを思って言っているのよ」という言葉は、素直に心に響く。
この時、私は「第三者の力の絶大さ」を痛感しました。息子は自ら福岡の予備校の寮に入ることを決意し、その後無事に大学へ進学、そして就職へと自立の道を歩み始めました。
燃え尽きた中での新たなチャレンジ
2014年。息子が大学進学への準備を整え、「もうこれで大丈夫だ」と確信した瞬間、私に異変が起きました。朝、ベッドから起き上がれなくなったのです。それは、仕事での過労ではありませんでした。
親として、そして開発責任者として、これまで背負い続け、全力疾走してきた人生の糸がプツンと切れた瞬間でした。完全な「燃え尽き症候群」です。しかし、ベッドの中で動けない体を抱えながら、私の心の中にはある一つの構想が明確に形作られていきました。
「コーチングの技術」「面接や履歴書指導のスキル」、そして「息子の不登校・引きこもりと向き合った経験」。この3つを掛け合わせれば、世の中で苦しんでいる引きこもりの若者たちを救えるのではないか。私が本当にやりたいことは、自分より若い世代を世話し、彼らが元気に社会へ出ていく姿を見守ることだ。
そう確信した私は、直後の2014年12月に長年勤めたIT企業を退職し、起業への準備を始めました。
八おき塾の立上げ「私が八おき塾で実現したいこと」
2015年4月、私は地元・福岡で「八おき塾」を立ち上げました。引きこもりの解決とは何か、それは一時的な外出ではありません。
「何年かかってもいいから、働き続けている状態を作ること」。それさえできれば、親は安心してこの世を去ることができます。私は「社会復帰を支援すること」こそが真の解決策だと位置づけました。最初の1年目は本当に手探りで、塾生はほとんどゼロでした。
しかし、オープンから1年ほど経った頃、39歳の男性が門を叩いてくれました。彼は大学を卒業後、就職活動につまずき、実に17年間も引きこもっていた方でした。親御さんが何を言っても動けなかった彼に対し、私たちのような「斜め上の第三者」であるコーチが伴走しました。
決して説教はせず、ひたすら彼の話に耳を傾ける。すると彼は見違えるように心を開き、やがて製造業の工場で働き始め、そこから4、5年も継続して勤務することができたのです。彼が社会人としての一歩を踏み出した時、私の仮説は確信へと変わりました。
八おき塾の特徴と具体的な取組。処方箋は「人薬(ひとぐすり)」
八おき塾の支援には、4つの具体的な実践プログラムがあります。
1. 食事づくり
皆で料理を作り、共に食べる。これは生活の自立の第一歩であり、自然なコミュニケーションを生み出します。
2. お客様の応対(自己開示)
八おき塾には、新たに入塾を検討している悩めるご両親が突然見学に来られます。そのご両親に対し、塾生自らが「自分が引きこもっていた時の苦しい心情」を語るのです。この自己開示ができるようになれば、回復は一気に加速します。
3. 実際の仕事(DVD出荷作業など)
外部から委託された仕事を通じて、納期やチームワーク、責任感といった「働くことのリアル」を体感してもらいます。
4. 週1回のコーチング
これが最も重要です。私たちのコーチングの根本にあるのは「人薬(ひとぐすり)」という考え方です。
以前、大学病院で「重度のうつ」と診断され、大量の薬を処方されていた若者がおばあ様と一緒に駆け込んできたことがありました。彼は薬の副作用で目をうつろにさせ、心も体もボロボロになっていました。私は彼に、精神薬を徐々に減らすよう促し、その代わりに私たちがひたすら彼の話を「聴き」続けました。
心に効くのは化学物質ではなく、人間という特効薬です。私たちの「人薬」によって、彼は見事にうつを克服し、今では一生懸命に働いています。彼は今でも「鳥巣さんが話をいっぱい聞いてくれたから治った」と言ってくれます。これほど嬉しいことはありません。
この「聴く力」こそが、八おき塾のシニアコーチ陣の最大の強みです。説教をせず、共感し、受容する。この技術を持つシニアの方々は、本当に素晴らしい社会の財産です。
八おき塾のこれから、そして人生100年時代の私の未来
今後は、八おき塾のこの「伴走型コーチング」の仕組みをさらに広げていきたいと考えています。私たちが、質の高いコーチを10倍に増やすことができれば、より多くの若者を救い出し、社会の大きな力へと変えていくことができるはずです。
最後に、人生100年時代を迎えるミドルシニア世代の皆様へお伝えしたいことがあります。定年後のセカンドキャリアを考える時、「こうすべきだ」「何かの役に立たなければ」と気負いすぎる必要はありません。「自分が本当に好きなことは何か?」を心に問いかけ、それに素直に従ってみてください。
私の場合は、それが「若者の世話を焼き、彼らが元気になる姿を見ること」でした。
今はまだ若者たちの伴走で手一杯ですが、いつかこの仕組みが完全に自走するようになったら、私自身も少しゆっくりと、憧れのナスカの地上絵やマチュピチュへ海外旅行に行きたいと密かに夢見ています。
でも、きっとまだまだ、この愛すべき若者たちから離れられそうにありません。敷かれたレールがなくても、何度転んでも、人は必ず立ち上がれます。 八おき塾はこれからも、若者たちの「何度でも立ち上がる力」を信じ、共に歩み続けてまいります。