50代男性 外食経験者の転職体験談 | 未経験の職種であっても、これまでの経験は活きてくる
- 自分の相場を知る
- 公開日:2019年8月 7日
奥様と在学中の3人のお子様、そして実母と同居する福田さん(仮名)58歳。長く外食産業に身を置いていましたが、現在はビル管理の仕事に就いています。これまでのキャリアについてお話を伺いました。
大学卒業後、大手ファミレスへ。その後同業他社へと転職
埼玉で生まれ育ち、関東の大学へ進学。授業よりもアルバイト。バンドや美術など様々な興味のあることに精を出すような学生生活を送っていました。
就職活動では、人事に大学のOBがいたファミレスを運営する企業の選考を受けることにしました。当時、ファミレスは目新しい存在で、その会社も上場を控えている状況。これから外食産業は大きくなっていくという期待感もあり、入社することを決めました。
入社後、1年間は埼玉の店舗でキッチンを担当。その後、群馬の店舗で副店長に就きました。当時から店は24時間営業。少人数で店舗を回すことが利益につながるため、今で言うワンオペ的な働き方が常態化していました。激務でしたね。
私の所属していたファミレスは、アメリカのチェーンを日本に導入したもの。使っていたマニュアルも英語が多く難解でしたが、合理的な思想に基づく考えのため、効率的な店舗運営を学ぶことができました。
群馬の店で3年経過した後、また埼玉へ異動。そうして配属された店の近くに、いつも繁盛している和食レストランチェーンがありました。そのチェーンは地方都市に本拠地を置きつつも、関東で100店舗出店するという目標を立て、精力的に活動している状況。
反面、私の会社は拡大はしていくものの、大企業であるため上にも下にも人が多い状態。ならば成長過程の会社に在籍したほうがキャリアも積めるし、ポストにも就けるのでは、と考え、和食のファミレスに転職することを考えたのです。
そうして面接を受けたのですが、人事から言われたのは「前職ほどの給料は出せないよ」とのこと。それでもこの会社に入りたい、という気持ちを伝えたところ、入社が決まりました。入社して4年での転職だったため、親には反対をされましたね。
同じ外食といえど、大きな違いがあった。その中で着実に経験を積んでいった
入社直後は、店舗のキッチンに配属。店の従業員のほとんどは、本拠地で働いていたのに関東へ転勤となった地元スタッフばかり。そんなところに、生まれが関東、大手外食から入社してきた私。完全によそ者扱いされました。
呼び方一つとっても、この店では「洗い場」、前職では「ディッシュウォッシャー」など文化の違いがありました。なので、「前職ではどうだったの?」という質問に答えるだけで、「さすが大手は違うねー」など嫌味を言われる環境。
とはいえ、当時は働き盛り。吸収できることも多く、成長を目指して前ばかり向いて働いていたので、特に雑音も気になりませんでした。
入社して1年ほど経った頃、他の店へ異動したタイミングで店長に昇格。店の労務管理、そして売上管理が主な仕事となりました。売上の悪い店は月に一度の店長会議で叱責されることもあるため、他の店に負けないよう気を引き締めていました。
店の売上を上げるためには広告などのマーケティングもそうですが、やはりサービスの質を高めることが重要。そのためには従業員の士気の高さも大切です。
この店で気づいたことは、現場力の高い者がボスとして認められる、ということ。例えば魚の捌き方が上手、寿司の握りが巧みなど、現場で実力を発揮すると、自然と自分の意見を受け入れるようになる。半ば職人的な価値観が残っていました。
次第にそのことを理解してきた私は、積極的に現場に入るように。すると自然と店の売上も好調になり、店舗の中でもよい数字を出せるようになってきたのです。
社長の付き人に抜擢され、多くの影響を受けるように。その後、エリアマネージャーに
店長をしていたある日のこと。本社から連絡があり出向いてみると、車の鍵を渡され「社長の付き人をやってみないか」との話が。この社長は一代で100店舗を超える規模まで会社を成長させたカリスマ。ぜひ、身近で多くのことを吸収したいとその辞令を受けました。
それからは一年間、創業者と膝を突き合わせ、考え方を吸収する日々。
創業者が重視していたのは、本質を捉えるということ。例えば、「クレーム」という言葉を使うのではなく、「会社に期待してのお叱りの言葉」なのか「単なるたかり」なのかをはっきりさせなさい、など安易に横文字を使ってなんとなくわかった気になるのを戒められたりしました。
おそらくこの辞令の意図は、他社からやってきた自分に会社の価値観・理念を浸透させ、
経営に携わる者を育てる実地研修だったのでしょう。多くのことを学んだ一年間でした。
この後、10店舗ほどの営業状況をマネジメントする、地区担当マネージャーに昇進となったのです。入社して8年ほど経った、36歳の頃でした。
リストラにより退職。その後は、雇われるのではなく自営の道を選択
地区担当マネージャーを担当して10年ほど、多くの店舗の売上管理を行うようになりました。その間に多くを学ばせていただいた創業者は高齢のため引退。代表は別の者に代わり、経営方針や社内の雰囲気も変わっていきました。
景気の良かった時期も過ぎ去り、やってきたのはリーマンショック。経営の改善を余儀なくされた会社はリストラを始め、その矛先には私も上がったのです。
人事がひそかに年齢の高く年収の高い社員のところを訪れ、回りくどい言い方で言質を取られないように退職を打診していく。そんな陰湿なやり方でした。
当時、48歳。三人の子供もまだまだ教育費がかかる頃。私と同様にリストラのリストに入った人の中には、平社員になってでも会社に残るという選択肢を取った人もいます。でも、私はそうしてまで会社に残る気はありませんでした。
そうして妻とも話し合ったうえで、22年に渡って勤めた会社を退職することを決めたのです。
会社都合での退職であったためすぐに失業給付が支給されました。仕事探しのために転職サイトに登録したところ、外食産業からは多くのオファーをいただくことができましたが、また同じようなところで働くよりも、他の選択肢を探してみようと考え、様々な資格を取ることに時間を費やしました。
そうするうち、「独立」という考えが頭をもたげるように。そんなとき、人づてで「ショッピングモールのフードコートで鯛焼き屋をやらないか」という話が舞い込みました。居抜きで入れることもあり、初期投資は抑えられる。ならばやってみようか、と自営の道を選んだのです。
自営の仕事は、大変だけど非常に面白かったです。これまでとやっていることは大きく変わらないけれど、違うのはそれら全てが自分のお金で行うということ。仕入れや食材の廃棄といった細部まで自身が関わるようになり、本当の意味で「商売」をするようになったのだと実感しましたね。
結局、自営の仕事は契約であった6年が経過した時点で終了しました。ショッピングモールがその場所を直で運営したいという打診があり、そのままの店舗状態で引き渡せることに。好条件だったためよいタイミングだと判断し、新たな仕事を探すことにしたのです。
すぐに仕事は決まったものの、入社時の約束は守られず。再び転職活動に
自営の仕事をして感じたのは、社会保険の自己負担などを考えると、会社勤めがやはりお得ということ。上の子供が大学に進んだ時期でもあり、早急に仕事を決めたい思いで転職サイトに登録し仕事を探しました。
当時、56歳。厳しさは覚悟していましたが、飲食業界からは時折スカウトは届くもの。そんな中、小規模なカレーのチェーン店からスカウトをもらい、応募しました。
事前に都内に出店していた店舗を4つほど客として訪問。正直、ずさんな印象を受けたため、気づいた改善ポイントなどをまとめて面接へ持っていったところ、面接に現れた社長と部長から「ぜひ入社して欲しい」とその場で内定をいただきました。嬉しさはありましたが、逆にここは大丈夫かな、という不安も感じましたね。
まずは現場に3ヶ月、4ヶ月目からエリアマネージャーをやってもらうという契約で、入社が決まりました。
現場では自分の子供と同年代のバイトから仕事を教わる日々。「おじさん仕事覚えるの早いね」と言われたときは、「これまで30年以上やってんだ!」と思いつつ、少しうれしかったですね(笑)。
ですが、4ヶ月目になっても配属先は店舗のまま。入社時の約束は守られませんでした。経営状況も芳しくはなく、自分が入社してから5名の社員が見切りをつけて退職。その様子を見て、会社の経営が改善される期待は薄いと判断し、働きながら転職活動を行うことにしました。
そうしてマイナビミドルシニアに登録。この年齢でも就くことのできる仕事を探したところ、マンション管理人の仕事と法人ビルの施設警備の仕事を発見。マンション管理人の仕事には落ちましたが、これまでの仕事で取得した「防災センター要員」の資格などが評価されたこともあり、無事採用が決まりました。
辛いイメージの警備の仕事は、これまでの仕事よりもずっと楽だった
採用されたのは警備主任。いわば責任者のポジションです。なぜ未経験の自分が採用されたのかを聞いたところ、現在の警備の責任者をやっているのは76歳の大ベテランの方。
年齢も年齢なので、会社としては後任を育てようとしているのですが、その方にとって新人は「自分のポジションを奪いにきた不届き者」。そのため、パワハラモラハラを繰り返し、すでに二人辞めた後という事情を知り、やはりそんなことか、と半ば納得しました。
案の定というか、そのベテランのところへ挨拶に行くも、すぐに無視されるように。仕事を教わるどころか、口も聞いてもらえません。仕方ないので、他の先輩たちに確認しながら自分なりに探りながら業務に就いていました。
そんなとき思い出したのが、かつての創業者が言っていた「挨拶と笑顔はお金がかからない」という言葉。確かにそうだなと感じ、積極的に明るく振る舞うことを心がけました。
そうして働くうちに気づいてきたのは、警備会社の同僚も、ビルで働く人たちも、なぜかみんな自分に優しいということ。ベテランが新人をいびることに不快感を持つ人も多かったようで、気づかぬうちに周りには味方ばかり。
そうするうちベテランの方の勤務態度が会社でも問題となり、契約満了に。今では、働きやすい環境で勤務しています。
これまでの経験は思ってもいない形で自分を助けてくれる
仕事に就く前、警備には辛そうなイメージがありました。人手不足、長い時間の立ち仕事、そして、長く働いても自分のスキルや成長につながらなさそう。そんな3Kのイメージを持っていました。
ですが、実際に就いてみると大違い。座り仕事も多く、体力的な負荷はそこまでのものではありません。
自営と違って明日の資金繰りを心配しなくてもよいうえに、社会保険も負担してくれる。外食業界にいた30年間、ほとんど取れなかった土日の休みも、今では当たり前のように休めます。
雇用自体は1年単位の契約社員ですが、多くの人は長年働いている人ばかり。定年もないため、これからも長く働くことができる環境。今の職場では自分の年齢は下から3番目なので、先輩たちの年齢くらいまでは働くイメージを持っています。
こんなに楽な環境でお給料をいただいてよいのか、と戸惑う思いすらあります。
まとめ
30年以上、飲食の仕事に携わってきました。最後の転職のときも、外食業界からであれば正社員としてのスカウトもいただけたと思います。でも、「もう飲食はいいかな」と感じたんです。
違うことをやってみたい。雇用形態にもこだわらない。そうして活動したところ、今の仕事に出会えました。
これまでの経験は活かせないだろうと思っていましたが、接客で培ったコミュニケーション能力は職場で多くの味方を作ってくれました。
私のような年代にとって経験というものは、表面的には活かせなくともじんわりとにじみ出て自分を助けてくれる、そんなものなのかもしれません。
話題に上るのは、健康、病気、そして年金の話題ばかり。そんなシニアな職場ですが、居心地は悪くありません。これまでのキャリアの中で学んだ無駄をなくし、効率化を図り、自分ごととして捉える意識を持ちながら、長く働いていきたいと思っています。
※年齢は2019年7月取材当時のものです
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