67歳からの個人事業主デビュー。偶然の出会いを大切に、学び続けることで道が拓ける!|人生100年時代のライフシフト
- 100年時代のライフデザイン
- 公開日:2025年9月16日
海外赴任を夢見て社会人生活をスタートしたものの、早々に挫折を経験。その後18年間の海外勤務を経て、定年後に再びキャリアを再構築した林 順一さん。挑戦と学びを重ねながら、今ではシニア世代の希望となる存在に。人生100年時代を前向きに生きるヒントが詰まっています。
PROFILE
林 順一
株式会社人材コミュニケーションズ 研修講師 中小企業診断士
海外での活躍を夢見て大学卒業後に就職したメーカーが入社2年目に経営危機に陥り、やむなく転職活動。海外事業強化を目指すオリックスに転職後は、希望通り18年間の海外赴任経験。57歳で野球球団に管理部門担当執行役員として出向後、60歳で定年退職を迎える。退職後、転機となった研修プログラムとの出会い、中小建設会社への転職をキッカケに中小企業診断士への挑戦と様々な"学び"の機会を通じ、現在は研修講師、中小企業診断士として活躍中。
"挫折"からの社会人スタート。海外赴任を夢見て入社した会社が経営危機に
中学校時代に祖母が営む下宿で私を可愛がってくれていた大学生が、海外で働くことを夢見て総合商社へ就職しました。身近な存在だっただけに特に"将来"について具体的なイメージのなかった私にも、とても刺激的でかっこよく感じられ、私のその後の人生に大きな影響を与えました。
たまたま彼と同じ大学に入学、大学生活でもESS(English Speaking Society)の活動に熱心に取り組み、語学力を磨きました。卒業を控えた就職活動では「輸出比率の高いメーカーが海外で活躍できる可能性が高い」という推論を基に就活戦略を立て、機械メーカーに入社しました。
憧れの海外赴任を目指したメーカーでスタートした社会人生活。あまりにも早いタイミングで挫折します。入社2年目には会社が経営危機に陥り、主要取引先の支援を受けて再建するという経験をしたのです。同期の約半数が希望退職に応じる中、私は一旦会社に留まりますが、社内の雰囲気の悪化から転職を考え始めました。
転職活動中に、日経ビジネス誌でオリエント・リース(現オリックス)の社長インタビューを読んだことや、スキー旅行で出会った女性グループがリース会社の社員で業界の話を聞く機会があったことなど、偶然の接点が重なり、海外戦略を成長への重点戦略の一つに置くオリックスへの転職を決めました。
夢叶った18年間の海外赴任。"その後"に活きたのは中小組織での実務体験
入社後、大阪で中小企業を対象とする国内リース営業部門に配属され、町工場の現場を見たり、経営者から会社経営の厳しさを学ぶことができました。これは金融の基礎、中小企業の現状を学ぶ貴重な経験で、40年後のキャリアに役に立つことになります。
その後、海外事業部への異動試験に合格し、東京へ転勤。そして、入社以来の夢だった海外駐在、ニューヨークへの赴任が実現します。6年間のニューヨーク勤務では、5年間は日系企業向け業務を、最後の1年間はいわゆるウォール街タイプの債券投資業務を担当し、貴重な経験を積みました。
この時期は日本のバブル経済の絶頂期にあたり、日本から来た取引先の方々がティファニーなどで大量の買い物をされる光景は鮮烈でした。ニューヨークから帰国後、今度は韓国ソウルに3年間、その後タイに家族で赴任し、さらにオーストラリアにも単身で駐在するなど、合計18年間を海外で過ごし、長年の夢を叶えました。
特にやりがいを感じた仕事として、タイの自動車リース会社を買収を自ら企画し、その社長に就任したプロジェクトは痺れましたね。初めての大型買収のプロセスの緊張感。まさかの私の社長就任。その重責に押しつぶされそうになりながらも多くの先輩、仲間や現地社員の踏ん張りに支えられて、何とか軌道に乗せることができました。今でも感謝の気持ちで一杯です。
オリックス在籍中に、57歳でドーム球場運営子会社に管理部門担当役員として出向、オリックス・バファローズの球団執行役員も兼務しました。一見派手そうに見えるドーム球場や球団の経営ですが、実際は両社あわせても選手を除けば僅か70人規模の中小企業。
私はその総務部長として、総務・人事・経理・財務・施設管理など多岐にわたる管理部門全般の実務にわたり、まさに"何でも屋"として働く毎日でした。海外駐在の間、現地法人の役員としてマネジメントの期間が長かった私には、この現場で実務に携わった貴重な経験が、その後のキャリアに大きな財産になりました。
私の"新たな目覚め"の背中を押したのは、妻が観たTV番組。新たなステージへの挑戦
60歳で定年退職を迎えた当初は、退職金と失業保険でしばらくゆっくりするつもりでした。しかし、3ヶ月ほどで仕事のない生活を退屈げに、一日中家でゴロゴロしていた私を動かしたのは妻でした。妻が偶然見たニュース番組の中の「シニアのためのキャリア塾」の紹介をきっかけに、妻に背中を押され、私は「社会人材コミュニケーションズ社の"知命塾"」に参加することになります。
そのプログラムの中で「90歳までの理想の生活」をシミュレーションした結果、金銭的にも60歳から70歳までは働き続ける必要があること、ゴロゴロしている場合ではないことに改めて気づかされることになります。これからのライフに対する意識が大きく変わりました。
"知命塾"での気づきをきっかけに、様々なキャリア選択に関する情報収集に積極的に足を運びました。その中で、ハローワークで出会ったキャリアコンサルタントから「最低でも70歳まで働くんです。65歳までは今までの経験を活かして働きなさい。」と叱咤激励されたことも、私の背中を押しました。
新たなステージへの挑戦は簡単ではありませんでした。再就職活動では、書類選考で17連敗。それでもめげずに取り組み、こちらから面談をお願いしたことがきっかけで巡り合った、私と地元が同じキャリアコンサルタントとの出会いを縁に、従業員45人の中小の建設会社に社長室長として入社することが決まりました。
中小企業の実務体験により、"中小企業ならではの空気を体験している"こと自体が選考の一つの武器になったと聞いています。この時、オーナーから「前の人間は1年で辞めたからしっかりやって欲しい」とプレッシャーかけられたことは、私にとって良い緊張感をもって仕事に向き合うエールになりました。
入社後は社長と現場を繋げることが主たる仕事。私自身が最終キャリアで体験した、中小企業の管理部門での実務体験が活きることになります。現場の社員が抱える問題や悩みをリアルに受け止め、各論の相談にも対応できたのはあの体験があったからこそです。現場に寄り添うことで、現場からも一定の信頼を得ることができました。
もちろん職責上、社長から直接の相談を受ける機会も多く、改めて経営の理論を体系的に学び直したいという思いから、中小企業診断士の資格取得に挑戦しました。4年半かかって65歳で資格を取得。その学びの過程、資格学校や大学院で若い人々と交流し、資格取得に留まらずパソコンスキルを改めて磨くなど、60歳を超えてまた新たな学びと成長を実感する機会となりました。
65歳からの個人事業主へのチャレンジ
建設会社に入社して3年経った頃、自ら企画提案して従業員10人の建設リフォーム会社の買収を実行しました。経営統合作業のため2年ほど出向し、会社の抱える課題解決に伴走し、新社長による会社運営も安定化してきたことを見届けたタイミングで、定年にあたる65歳に。
1年更新の再雇用契約を結ぶにあたり、出勤日を徐々に減らしていく変更をお願いし、翌年から週3日の出勤への変更にご理解をいただきました。それを機に、私はその後も見据えた個人事業主としての準備を進めました。そして迎えた67歳で建設会社を退職し、個人事業主としてのチャレンジがスタート。
中小企業診断士として、建設会社を中心に企業の経営診断、経営改善や再生の支援を行っています。特に、オリックス時代の球場・球団運営会社で得た管理部門の実務を担った経験と、直近の建設会社での経営と現場を繋ぐ仕事を通じて得た知見が、現在の仕事で大きな強みになっています。
また、60歳からの新たなスタートへの覚悟を決める貴重な機会をいただいた社会人材コミュニケーションズの代表よりお声がけがあり、知命塾でサブ講師やファシリテーターを務めることになりました。"自分自身のこれまで"と真剣に向き合い、初めて人生100年時代を前提にした自身の未来を設計し、自分の描く理想の姿のために私が取るべき選択は「何か?」を気付かせてくれたプログラム。
あれから6年半の就業経験と学びの機会は、私の人生の大きな財産となりました。縁あってそのプログラムを講師として提供する側に回れることは、恩返しの機会と考えています。私の自身の経験も活かしながら、ミドルシニア世代のこれからへの不安の解消をサポートし、活き活きとしたライフデザインの設計を応援することが私自身の新たなライフの柱の一つにもなっています。
今後も、まずはマイペースで75歳まで働き続けることを目標に掲げ、仕事と並行してマラソンやピアノといった新しい趣味にも挑戦しています。私のキャリアは、挫折と挑戦、そして偶然の出会いの機会を大切にすることで培われてきました。何より常に学び続けることこそ、豊かなライフを築くために重要な要素であると感じています。
現在は、若手の中小企業診断士の仲間たちのAI活用の研究会で学んでいます。若い人たちから沢山の刺激をいただき、多くのことを学ばせてもらっています。AIを活用したライフデザインの新たなコンテンツ創りに貢献することが私の今の目標ですね。「知命塾」に私の背中を押してくれた私の妻が、その後の進化に刺激を受けたのか、日本語教師の資格の取得にチャレンジ。
無事に資格を習得し、今では日本語教師として新たなステージで頑張っています。定年直後、先の見えない老後に不安を抱えていた二人が、10年で様変わり。今では"人生100年時代"に向けて二人揃って、仲良くワクワクしながら過ごしています。ちょっと照れますが、妻には本当に感謝ですね。